季節の情景や心情を五七五のわずか17文字で詠み上げる俳句。とても短いので簡単そうに見えるが、実際に作ろうとするとこれが意外とむずかしい。うまく形に収まらなかったり、季語が抜けていたり、逆に多すぎたりする。日本人にでさえ簡単ではないのだから、ましてや日本語を母国語としない外国人に俳句は無理だろう、そんな考えがどこかにある。「俳句やその趣きは西洋にはない日本独特のものだ」と言い切ったのは夏目漱石だが、彼もこの人を前にしたらきっと自説を曲げるに違いない。フランス出身の俳人、マブソン青眼(せいがん)さんだ。
これまでに数々の句集を発表したり、テレビの俳句番組に出演しているだけでなく、月刊『俳句界』が選んだ「現代俳句を代表する俳人500人」にも選ばれた。また、自ら句会を主宰して日本人のお弟子さんたちに指導も行っている。エッセイ集『一茶とワイン』にこんな句がある。
「寒月下
しんと紫紺のしなのかな」
子供の頃から詩人になることを夢見ていたマブソンさんが俳句に出会ったのは、高校生のとき。留学していた宇都宮高校の図書室で読んだ芭蕉の英訳句集がきっかけだった。フランスに戻りパリ大学で日本文学を専攻した後、再来日。早稲田大学で小林一茶を研究して博士号を取り、18年前から大好きな一茶の故郷でもある長野で、奥さんと娘さんと暮らしている。
彼の作品は俳句の世界に新しい地平を開いた。しっかりとした古典の素養に裏づけられていながら、従来の俳句にはない独特のエスプリと洒脱(しゃだつ)さにみちている。「春の月情事の後も春の月」。まるでヌーヴェルバーグの映画のシーンを17文字の中に閉じ込めてしまったようだ。
俳句はスローガンではないが、単なる高尚な言葉遊びでもない。彼の句が見せてくれる俳句のもう一つの側面は「詩の力」のようなものにある。
2011年の震災、福島の原発事故は彼にとっても大きな転機となった。「脱原発アピールの黄色いリボン」運動の主要メンバーとして毎週上京して官邸前のデモに参加したり、自宅に計測器を備えて食品の汚染状況を発信しているほか、2012年には句会の弟子たちと日仏対訳で合同句集『フクシマ以降 APRES FUKUSHIMA 』を刊行。俳人として、子を持つ親として、何もせずにはいられない。そんな強い思いが俳句にもにじみ出ている。
「花の上花散る吾児(あこ)よごめんなさい―青眼」
(康)