5月5日、バスチーユ広場に、赤や緑のほうきを持った人々が続々と集まってきた。フランソワ・オランドが大統領に選ばれてから1年、その「右寄りの」、「経営者団体Medef寄りの」政策に抗議して、それを「一掃coup de balai」するための左翼戦線主催のデモへの参加者たちだ。デモの先頭には、左翼戦線のリーダー、ジャン=リュック・メランション、共産党のピエール・ローラン党首、欧州エコロジー党のエヴァ・ジョリ…。通りいっぱいに広げられた赤い幕には「第6共和制を目指した市民の行進」、「緊縮財政と金融優先に反対」。メーデーの4日後で、学校休暇のまっ最中という悪条件にもかかわらず、約5万人が参加した。
参加者の掲げるプラカードでは「フランスの人民よ、目覚めよ! あなた方なしには何もはじまらない」、「金融だけでは何も解決されない。それが問題だ」などが目についた。工場閉鎖で失業に追いやられた人たちは、「オランド大統領はMedefの前にひざまづいた。ひどいものだ!」と怒りの声。デモはナシオン広場まで続き、最後は「レジスタンス! レジスタンス!」というシュプレヒコールが響きわたった。「(オランド大統領の)試用期間は終わったが、ちっともよくなったところがない」とメランションは、盛大な拍手を浴びながら演説した。
このデモの槍玉に挙げられた社会党政府のスポークスマン、ヴァロー=ベルカセムは「『一掃』というスローガン自体が、ジャン=リュック・メランションの政治的な無能さを示している」と厳しく批判。
しかしメランションも負けてはいない。「オランド大統領は、緊縮財政を唱える他の欧州連合の指導者同様に、この失業者の増加、購買力の低下といった、危機の原因の一つなのだ」。そして2012年5月に左翼戦線の票なくしてはオランド大統領は誕生しなかったとし、「オランド大統領に、大統領選挙当時の左の路線に戻ることを求めたい。その時には、左翼戦線は政府に加わる用意がある、私が首相になる用意がある」とますます気炎が上がる。
ジャン=リュック・メランションは、1951年、モロッコのタンジェ生まれ。26歳の時以来、社会党内で活動。1986年には上院議員に選ばれ、2000年から2002年にかけてリオネル・ジョスパン内閣で職業教育担当相を務める。2008年に社会党を脱退して左翼党Parti de gaucheを立ち上げる。2012年の大統領選挙では共産党と組んで左翼戦線の候補として出馬し、第1回選挙では11.10%を得票した。(真)