マダガスカルの北にある仏海外県マヨットで4月24日、警察によるスラムの解体と不法移民を強制送還するための「ウアンブッシュ」作戦が正式に始まった。この作戦は何週間か続く見込みだが、コモロが送還移民受け入れを拒否するなど、作戦遂行は難航する様相を見せている。一方で、29日には作戦を支持するマヨット住民のデモがあり、ダルマナン内相は5月2日、同島の犯罪集団の中心人物60人のうち22人を逮捕したと成果を自賛。しかし、5月13日現在も若者の暴動は続いている。
マヨット島(面積375km2、人口約35万人)は1974年、76年の住民投票でコモロ諸島のなかで唯一フランス残留を選び、2011年に海外領土から海外県になった。出産増と主にコモロ連合からの移民(移民の95%)増加により、1985年から2017年に人口は4倍になり、住民の48%は外国人だ。それとともに貧民や移民の住むスラムが増え、若者ギャングの抗争や犯罪が増加。21年時点で島の失業率は30%で、貧困線以下の人は住民の77%。こうした状況から、16年にも本土並みの社会インフラを求めるゼネストやデモが続いた経緯があり、ギャング抗争が続いた一時期は「内戦状態」と形容された。
ダルマナン内相は、同県の知事(国の代表者)や県議会からの要請を受けて、「違法住宅1000軒の解体および、武器の不法取引、犯罪組織を撲滅する」ために、警官や憲兵を派遣し、作戦開始時で1800人を動員。過去に住民が民兵組織を作ってスラムからの外国人追い出しを図ったこともあるように、作戦に賛同する住民と、作戦によってスラムの家を失うことを恐れて反対する住民に分裂する。マヨットの裁判所は25日、島北東部のクング市のスラムの強制退去を違法として差し止めた。人権連盟(LDH)は、不安定な境遇にある多くの未成年を危険にさらす、と作戦に反対。仏人権諮問委員会(CNCDH)も「マヨットの社会の緊迫した状態と分裂を促し」、外国人の基本的人権を侵すものと作戦停止を内相に求めた。
マヨット島はコモロ諸島のなかでフランスが最初に植民地にした(1841年)島だ。1974年の住民投票でマヨット以外の3島では独立賛成が多数を占め、75年、コモロは4島全部の独立を宣言。これを不満とするマヨット島は76年に再度住民投票を実施して99%で仏残留を求め、仏政府もインド洋での影響力を維持したいために認めた。だが、コモロ諸島4島は同じ民族・言語で、同じ親族が複数の島に散らばっているケースも多いという。コモロは独立時からマヨットを自国領と主張し、国連に提訴。国連は76年、94年と、コモロの主張を認める決議をしたが、仏はコモロとの交渉を拒否している。こうした経緯もあって、コモロは自国民がマヨットに行くことは国内移住とみなし、移民送還船の着岸を拒否した。
マヨットはフランスの県とはいえ、移民政策や福祉政策などが本土とは異なる。滞在許可証はマヨット島内のみで有効でほかの仏国内に行くにはビザが必要。島生まれの子は本土同様に18歳で仏国籍を申請できるが、出生の3ヵ月以上前から親のうち一人が滞在許可証を保持しているという条件が加わる(内相はこの期間を1年にしたい意向。移民妊婦が島で産む子の仏国籍取得を妨げる)。強制送還の決定が下ると本来は行政裁判所への提訴中は送還されないが、マヨットではすぐに送還できる。そのほか警察による身分証明書チェックの常態化など、移民を取り締まる例外措置が多い。法定最低賃金や生活保護額、年金額も本土より低く、マヨットはフランスで最も貧しい県とされる。
クーデター続きで貧しく不安定なコモロから、仏海外県であるためにある程度の福祉や教育が保障されているマヨットに移民が流れるのは自然な成り行きだ。果たしてスラム解体や送還に意味があるだろうか? 送還してもまたボートに乗ってくるだろうし、解体してもスラムはまたできるだろう。抑圧と取り締まりで移民流入を阻止できないのはヨーロッパへの移民が減らないのと同じだ。コモロ、マダガスカルなど周辺地域との共同開発推進を仏メディアが提言しているように、地域全体が豊かにならなければ根本的解決策にはならないだろう。(し)