シボ美帆さんは静岡県生まれ、高校時代にドフトエフスキー作品に魅せられ早大の露文科に入るが学園紛争で大学閉鎖。翌年西洋史に変更。74年来仏しトゥールに滞在、学食で出会ったMは法学を専攻。ファックスもSMSもない時代、彼女の帰国後は毎日文通。郵便ストの時はMはベルギーまで投函に。75年結婚。彼は79年にパリ郊外マラコフ市役所に就職。
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父は満州で会計士、両親は日本占領下の現地での残虐場面を私に語り聞かせた。後年、Mと広島の原爆資料館を訪れた時、感想帳に仏語で « A qui la faute ? 誰のせい?»と書かれていたのを今も忘れません。Mが勤めた町の市長は記者としてインドシナ戦争を取材、助役はアルジェリア戦争に反対し砂漠の牢獄を体験した反戦家。Mと80年代から核保有国フランスで原爆の被害を伝えるため、原爆に関する映画上映や展示、被爆医師の証言や討論会を行い本を出版。平和教育のためのアニメ『つるにのって』を英仏日3カ国語で10年かけて制作し、地方の学校・平和団体・国連でも上映。在仏23年後、更年期にあった私は母語の衰えと仏語での討論に心身共に衰弱。そんな時、日系紙でオランダの短歌会を知り、短歌で母語を鍛え、窮地を脱しました。短歌は海外で生きるための心の杖になったのです。2013年に友人とパリ短歌クラブを結成。『フランスの空を平和のつるが舞うとき』(03年)は、自らつるになり世界中の子供たちの心に平和の種を蒔こうと、私たち夫婦の平和活動を綴りました。とはいえ核保有国の間で核軍縮は空念仏と化し、核戦争の危機は増しています。娘が幼い時に毎晩話してやった「人なき人影の街」の話を『ババロン伝説』(06年)にまとめ、08年に300首以上を収めた歌集『人を恋うロバ』を出版。また「ひろしま平和大使」として原爆体験を人類の普遍テーマとして伝え続け、10年来、朝日新聞社主催の平和を願う短歌コンクール「八月の歌」の選者として、大人や中高生が日本の詩・短歌31字に平和への思いを表すことの大切さを痛感しています。『つるにのって』を通して世界中の子供たちが「原爆の子の像」を想い浮かべるようになればいいと思います。
「〈原爆の子〉を語らえば
聞く子らの視線はひしと我が身に迫る」