T子さんは88歳。1973年に来仏して以来、日系金融機関に勤め、63歳で定年を迎えた。それからは、読書三昧の独身生活を愛猫とともに送った。
85歳の時、脳梗塞を患い、数日入院生活を送っていたところ、日本に帰る予定もその気持ちもないT子さんのパリでの余生を考え、以前彼女の親代りになってくれたフランス人女性の息子さんが後見人になり、住居売却や老人ホーム入居の手続きをしてくれた。
キミ:86歳の時ブローニュ・ビヤンクールの老人ホームに入られましたが、そこでの生活に慣れましたか。
T子:入居している老人のほとんどはフランス人です。私のようなジャポネーズが加わっても、大半の人々は認知症が進んでいるためか、無関心なのか好奇心もないのか、廊下で会ってもボンジュールと言うわけでもなく部屋に閉じこもるか、車椅子でサロンに集まってピアフのCDを聞いたり、今の大統領は誰ですかといった記憶ゲームに加わったり。
ある時は、覚えている歌を歌おうというので、私は少女時代に近所のプロテスタント教会で歌っていた「聖しこの夜」を日本語で歌ったら皆に喜ばれました。
入居者の中には、毎日家族が会いに来ては、おしゃべりしていく人もいます。昼夜と、食堂の決まった席に着きますが、友人たちが「さぞ寿司でも食べたいだろう」と持ってきてくれますが、不思議に今は日本料理の味などは恋しくないのです。
毎日夜9時くらいに寝て夜明け前にJSTVで日本のニュースや番組、相撲を見たりしていますので、パリにいながら日本の茶の間にいるようです。ですから、ますますフランス社会が遠くなり、フランス語が出なくなっています。もしかしたらパリの音や味は、購読しているオヴニーが届けてくれているのかもしれません。
私の姉は95歳ですから姉妹同士、余っている時間を、遠く離れていますが悔いなく過ごせればいいと思っています。友人や昔の同僚たちの姿や顔も記憶から薄れつつありますが、逆に私の声や姿が彼らの心にわずかでも残っていればそれでいいと思います。
今になって、私はパリの日本人コミュニティーの中にいたのか、そのほとりにいたのか、その外にいたのかはっきりしません。ただ数年前に『やどかりの人生』という題で歌集を自主出版できたことで、パリに私の足跡を残せたと思っています。