パンテオン、歴史の荒波の中で
毎年70万人が訪れる偉人廟パンテオンだが、1744年、ルイ15世がメッスで重病を患った時に聖ジュヌヴィエーヴの加護を求めたら治ったので、この聖女を祀る教会を再建すると決めたことに端を発する。建築家スフロに設計が託され立案から10年後に着工。ところが竣工した時はフランス革命の最中だった。十字架は取り外され宗教色を一掃され「パンテオン」となり、革命精神を讃える偉人を祀ることに。1791年に最初に祀られたのはミラボー(2年後にパンテオンから排除)だった。ヴォルテールの遺灰はパリを8時間かけて行進して入場し、ルソーの遺灰は94年に到着した。
ナポレオンは政権を執ると11年間で40人以上を合祀した(現在祀られている79人の半数以上)。内訳は軍人15人、フランス銀行総裁や航海者ヴーガンヴィルなどを含む元老院議員27人、教会関係者。ナポレオンは勲章も爵位も祀るのも好きだったようだ。
王政復古時は再び教会になり、壁画や彫刻も宗教色のあるものが設置される。1885年、ヴィクトル・ユゴーの国葬を機に共和国のパンテオン(無宗教)であることが政令で定められた。今でもパンテオンには絵画も彫刻も、建築のディテールにも聖俗が混在している。そんな折衷こそが歴史を実感できるパンテオンの面白さかもしれない。
女性はわずか5人…。
1907年、ソフィ・ベルトロは女性で初めてパンテオンに埋葬された。化学・生物学者で外相、教育相だったマルスラン・ベルトロの妻として夫と共ににパンテオンに合祀された。女性が自らの功績を讃えられパンテオン入りするのは1995年。放射線研究でノーベル物理、化学賞を受賞し、パリ大学初の女性教授職に就任したマリ・キュリーだった。その後は2015年、ジェルメーヌ・ティヨンとジュヌヴィエーヴ・ド・ゴール=アントニオーズ(ド・ゴール大統領の姪)。ふたりとも第二次大戦中に対独レジスタンス活動でナチスに捕まりラーフェンスブリュック強制収容所に送られた。生還後、ティヨンは収容所についての調査研究、ド・ゴールは貧困撲滅と闘った。5人目はシモーヌ・ヴェイユ(夫のアントワーヌとともに)。79人の偉人中、女性は5人にとどまっている。
パンテオン入り、誰が決める?
パンテオン入りを決めるのは大統領。埋葬されるのはフランス国籍で、かつ家族が承諾することが条件だという(サルコジ大統領はカミュをパンテオンに入れたかったが、カミュの息子が、サルコジ大統領のイメージアップに利用されたくないと異議を唱えたため実現しなかった、とル・モンド紙は伝えている)。パンテオンを案内してくれた人によれば、大統領に手紙を書いて提案するのも一つの手だという。