Q:そのお店はどのぐらいの規模だったんですか?
中西:50席ぐらいでしたが、お昼は2回転、夜は1回転半ぐらいする店でした。
Q:すごい。
中西:忙しかったですけれど、楽しかったです。
Q:厨房には何人が?
中西:ビルの中にあって無休だったので、12人ぐらいがシフトを組んで働き、休みは週に1日でした。京都のシェフは僕らの能力に合わせて仕事をさせてくれたんですが、東京のシェフは能力以上のこと、無理な要求をすることもありました。
Q:すると腕の伸びも違いますよね。言われてできないと悔しいだろうし。
中西:京都ではそうでもありませんでしたが、東京の店では辞めていく人も結構いました。人の出入りが多かったです。それでも残って働いていれば一生使える技術が習得できると自分は感じていました。
Q:そこには何年いたんですか?
中西:2年半してシェフに次のことを相談したら「フランスに行って来い」と言われました。
Q:京都のシェフに?
中西:いや、東京の店のシェフに、です。それで「はい」と(笑)。
Q:それでワーホリ?
中西:そうです、とりあえずワーホリで来ました。2006年のことです。
Q:その時京都のシェフはまだこちらに?
中西:いました。連絡はもちろん取りましたし、何度か会いました。ただそのシェフは、ちょうどゴルフ場が閉まって、こちらに残るかどうかを迷った挙句に結局日本へ帰られました。
Q:ワーホリをもらってこちらに来てL’Ourcineに行ったのはなぜ?
中西:ビストロに行きたいという希望を自分は持っていました。
Q:有名シェフとかミシュランに載っているお店などを最初は目指す人が多いのに、ビストロとは珍しいですね。
中西:パリに来て、東京のシェフの知り合いが働いていた店に2ヶ月ぐらい居させてもらいつつ、色々な店を見て回りました。特にビストロがいい、というのではなくて、一人で回りながら入れる店で、しかも一般の人たちが食べているもの、普通のご飯を出す店に行ったみたい、という気持ちからです。それから東京のシェフがカンデボルド(Yves Camdeborde)さんがシェフだった時代にLa Régalade(パリ14区にあるビストロ)で働いたことがあって、その話を聞きながら「ビストロってのは良さそうだな」と勝手に想像していたことも理由にあったと思います。おまけにL’Ourcineのシェフ、シルヴァン(Sylvain Danière)はカンデボルドさんのセカンドをした時代があり、実際食べに行ったら彼らの料理はとても美味しかった。2日続けて食べていい店だと思ったので、その場で「働かせて欲しい」と頼みました。そうしたら「じゃあ来月から来て」と言われたので、働きに行きました。
Q:なるほど。それでワーホリが終わるまではL’Ourcineにいて、その後スイスへ?
中西:そうです。スイスに行く前にちょうどサヴォワの方で葡萄畑の仕事も手伝わせてもらいました。夏から行ったので畑の整備から収穫ぐらいまでの間です。
Q:なぜサヴォワへ?サヴォワのワインは確かに美味しいです。
中西:うん(笑)。なぜサヴォワだったんだろう?きっとどこかで情報を見つけたんだと思います。
Q:これからのことを少し。トゥールーズへ移住されるということに興味があります。
中西:東京時代の同僚がトゥールーズに今住んでいまして。
Q:シェフとして?
中西:いや、ソムリエです。
Q:じゃあその方はソムリエとしてトゥールーズの店で働いていらして、二人で一緒にお店を開こう、ということに?
中西:そうです。自分もやっぱりいつまでもLe Cetteで仕事をするのはと思っていたし、日本へ帰るたびに東京駅の真ん前にある丸ビルの店に顔を出して昔の知り合いや同僚たちには「何か自分でやりたい」というような話はしていたんです。そうしたら、東京の店を介してソムリエの彼が自分の希望を知り、彼自身もフランスで何かしたいと言っていることがわかって、お互いの気持ちというかやりたいことがつながったのが去年の夏のことです。それからですね。自分の中でも38歳という年齢が一つの転機になると思いました。35歳の頃からステップアップできないなら日本へ帰るか、と考えたりもしていましたし。
Q:まあ、フランスに来てピッタリ10年目ということもありますよね。
中西:それもあります。10年こちらに住んで先が不透明だったら考えよう、という気持ちもありました。もちろん日本に帰って店を開いても大変だとは色々な人から聞いてはいました。ただこちらではちゃんとやれば人は入るかな、など色々なことを日々考えつつですね。うちの奥さんとも話をして、何度かトゥールーズへも足を運びました。トゥールーズが家族で住んでもいいと思える街かどうかを確かめるためです。そして一応一通りのものはある街だ、と思いました。もちろん未だに「パリの方がいい」と奥さんには言われていますけれど(笑)。
Q:トゥールーズはいい街ですよ。
中西:何もない街だったら、うちの奥さんは絶対に行かないと思います。そういう意味では街としてはきちんと出来上がっているので、渋々オーケーを出してくれました。まあ色々考えた結果、です。パリでも、と考えましたが資金的にはほぼ不可能だと思いました。もちろん銀行とも話はしました。
Q:出資は日本のどなたかが?
中西:いや、自分たち二人だけです。借りられる分だけ借りて、小さく始めようと。
Q:場所はすでに?
中西:候補はあリますが、返事がなかなか来ない。
Q:トゥールーズの真ん中?
中西:そうです。夏だし、いろいろなことがなかなか動かなくて、トゥールーズのアパートの賃貸契約も昨日ようやく届いてほっとしたところです。いや、大変です。パリのアパートも出なくちゃならなかったので、今は仮住まいで2週間だけ別のアパートを借りています。
Q:大変だ、短期間で結局2度引越しを?
中西:そうなんです。
Q:トゥールーズで住む場所はすぐに見つかりましたか?
中西:不動産屋には「仕事を辞めて来るんでしょう?お金どうするの?」と言われて「お金の問題はない」と説明してもあまり信用してもらえない(笑)。「仕事はするから」と説明しているのに、「仕事はないんでしょう?」ってしつこく言われて。結局トゥールーズの友達のつてで見つけることができました。
Q:まだ物件も決まっていないので恐縮ですが、いつから店を開けたいと思っていらっしゃいますか?
中西:一応銀行には「11月ぐらい」と言ってあります。
Q:工事もするつもり?
中西:小規模の、できる範囲の工事になると思います。使えない状態でも、使える状態に持っていきます。Le Cette にも最初はろくな設備がなくて、オーブンを買った程度でした。だから設備に関しては最低限あれば始められると思っています。
Q:お皿などは?
中西:買わなきゃならないですね。出資の話もありましたが、中で働いている自分たち以外に社長がいたらどうなるんだろうと考えました。出してもらっているからお礼じゃないですけれど、義理というか、そういうものが発生する。
Q:ある意味では、雇われているということになりますよね。
中西:実際Le Cetteのお客さんなどに話をすればお金は少し集まったんじゃないかとは思います。あの店の界隈には画家など芸術家も多くて、朝コーヒーを一緒に飲みながら四方山話をする。冗談かもしれないけれど「店を出すなら応援する」と言ってくれた人もいました。小さな店でもパリで開くならば、頼めば出資してくれる人はいたと思います。トゥールーズへ行くと決めた時に、出資者がいたら全部自分たちの店にはならない、だから自分たちだけで出す店は小さな規模でいいということになったんです。
Q:今お返事を待っている物件というのはどのぐらいの規模ですか?
中西:今の状態だと30席はありますけれど、とりあえずは20席ぐらいで。
Q:木村圭吾さんのお店も確か20席ぐらいですよね。
中西:圭吾さんともその話をしました。テーブルに奇数が出ると客数が減るという話もしました。ただ僕らは自分たち、つまり2人だけで最初は誰も雇うつもりはないので
Q:厨房一人、ソムリエの彼が給仕も?
中西:彼もキッチンに入るかもしれないし、場合によっては自分もキッチンから出るかもしれないということをとりあえず大変かもしれないけれどやってみよう、ということになっています。銀行や会計士にも「人を雇うと大変だ」と言われていますし。
Q:ワインを選んだり、仕入れるのはソムリエの彼が?
中西:そうですね、彼が行います。ただ僕もワインが好きなので、お客さんに薦めたり注いだりするかもしれない。いろいろなことを連携してやっていければ面白いんじゃないかなと思っています。
Q:ちなみに店名は?
中西:まだ完璧には決まっていないので、これから二人で相談しながら決めます。
Q:イメージしていらっしゃるお料理は、これまで作ってこられたようなビストロの料理ですか?
中西:まあそうですが、自分の中ではビストロとガストロ(ガストロノミー=美食)の間の線引きはしていません。ただビストロには可能性がある、という人の言葉には僕も賛成です。もちろんプレゼンテーション、盛り付けなども大切ですが、何よりも美味しいことが重要です。僕がビストロで働いてきて「いいな」と思ったのはお客さんとの距離がとても近いことです。対等とまでは言いませんが、お客さんと自由に話ができる。
Q:お客さんとの距離が近いということはお客さんにも会われていた、ということですか?
中西:いや、お客さんが調理場の入り口まで来ると、シェフは調理の手を止めて話をしたりする。そういう場面を見ながら「いいな」と思いました。もちろん料理を放ったらかしにすることがいいとは思いませんが(笑)。Le Cetteにいた時にもそうでしたね。仕事がひと段落したら自分が表に出て一緒に話をしたりもしました。気を使って話さなくていい、というか自分の料理を食べてくれたお客さんに自分の視点で話ができるのが楽しいと思いました。別に料理を作ることだけにこだわっているわけじゃないので、そういうお客さんとのやりとりも含めて自分は料理が好きなのだと思います。日本にいた時にはお客さんというのは難しい存在だと思っていたのが、そこまで構えなくてもいいことが分かったというか。レストランは高いというイメージがありますが、ビストロと言われるLe Cette だってそれほど安かったわけじゃありません。夜なんかは1皿30ユーロするんですよ。
Q:でもお昼のセットは20ユーロ代ですよね?
中西:昼はそうですが、夜は別です。店はどんどん値段を上げていきましたが、それは自分では望んでいないことでした。店としては払わなきゃいけないものがあるので、お客さんからもらわなければならないということはわかります。良い食材、値段が張るものを店が自腹を切って払う必要はもちろんないと思いますが、値段を上げるのであればもっと良い食材を使うし、使いたいと料理人が思うのは当然のことだと思います。僕が辞めて店の方もホッとしているかもしれないですね。結構仕入れにお金を使っていたと思います。それでも自分でも店にどのぐらいのお客さんが入っているか、どれだけ使えるかという計算はしていました。