Q:14区にあるLe Cetteという店をよく知っている友人からお店の「シェフが日本人だ」と話を聞いたので調べたら中西さんにたどり着きました。よろしくお願いいたします。
中西:とはいえ、電話でお話しした通り自分はLe Cetteを辞めたばかりです。
Q:独立のためにちょうどトゥールーズへ移住される直前ですよね。私にとっては転機を迎えていらっしゃる中西さんにジャストなタイミングでお会いできて良かったです。
中西:そうですか。
Q:私は行ったことはないのですが、Le Cetteは知る人ぞ知る、ビストロらしいですね。
中西:そうなんですか?中で働いていると有名かどうかということは気にならなくなります。お客さんの入りには波がありました。お昼は同じ顔、常連ばかりで、夜もどちらかというと常連さんが多い店ですが、昼とは違ってアラカルトで料理を出すので値段が違う、すると波が出てきます。
Q:自然派ワインが好きな仲間も知っていました。
中西:自然派は置いていましたが、それだけではなかったです。自分の料理もクラシックを重視しているところもあるので、流行りだからというのではなくて自然派の良いものは置くとしても、クラシックな美味しいワインも置きたい、とオーナーと店をオープンする前に話をしました。そこで互いに納得できたので、店で働くことになったんです。
Q:するとLe Cetteの立ち上げから?
中西:そうです。2013年の5月のことです。その前がSofitel Faubourgで、さらに前がL’Ourcine(パリ13区にあるレストラン)です。
Q:わー偶然、L’Ourcineは我が家から歩いて5分ぐらいのところで、娘が小学校へ通っていた時には毎日前を通っていました。
中西:偶然ですね。L’Ourcineは一番初めの時期ですね。ワーキング・ホリデービザをもらった時、今から10年前にとりあえず1年弱働かせてもらって、ビザが切れたのであちこちを動いた時期を経て、またその後で世話になりました。
先輩たちからは「言葉なんて現地に行ったらどうにかなるから」とは言われていましたが、結局どうにもならない(笑)。ビザも切れたしどうしよう…というので自分は一度スイスへ行きます。山の麓の小さいレストラン、大衆的な店だったんですがとても面白かったです。でもやっぱりフランスがいいと思ってスイスからフランスの南を目指したんですがどことも繋がらなくて、ボルドーまで出てもどこもなくて、日本へ帰ろうかとも思ったんですが結局パリへ戻ってL’Ourcineに相談したら就労ビザを取ってみようか、と言ってもらえた。
Q:で、日本へ帰らずに済んだ?
中西:そうです。ですから2009年から3年間ぐらいL’Ourcineで働いて、その後「他に行ける」という自信をつけたので動きました。
Q:そしてSofitelでは?
中西:1年半ぐらいです。きっかけはちょうど今のようなバカンスの時期に、人づてでオーセール Auxerreまで行って
Q:もしかして木村さん!?(本欄、今年4月15日号でインタビューさせていただいた木村圭吾さんが当時シェフだった店)
中西:そうです。オーセールで木村さんに会ったら、パリに行くからと誘われて。
Q:そうだったんですね。
中西:そろそろシェフをしてもいいかなと思っていた矢先だったので、オーセールでシェフを募集している、と人づてに聞いて興味を持ったんです。ただそこではすでに人が決まっていたので、圭吾さんから2番手ということで誘っていただいたのがSofitelでしたが、あそこはかなりの企業でした。つまり僕ら、圭吾さんがしたくないこともやっていかなければならなかった。レストラン以外にバーがあって、ホテルなので朝食も作る。一つのキッチンで全てをこなすというのはやっぱり大変でした。
Q:そして次のお店、Le Cetteへ移ったのは?
中西:オーナーと圭吾さんとは直接の知り合いではなかったんですが「探しているところがあるよ」と圭吾さんが教えてくれて、会いに行って話をして一緒に、という運びになりました。
Q:なるほど。
中西:はじめは自分と洗い場だけでしたが、開店してから2か月後ぐらいに日本人の子がワーホリで来てくれて、それから厨房二人と洗い場一人という体制でやっていたら、1年目ぐらいにオーナーが「もう一人増やせば?」と言ってくれたので、それからですね。スタッフが増えました。
Q:Le Cetteの席数は?
中西:40席程度です。
Q:結構大きなお店、L’Ourcineは?
中西:あそこも同じぐらいです。
Q:同じぐらいの規模だとすると、一番大きかったのはSofitelだったということですか?スイスはもっとこじんまり?
中西:小さかったです。
Q:突然さらに過去の話に戻りますが、ご出身は?
中西:滋賀県です。
Q:料理に興味を持ったのは?
中西:興味を持ったのがいつか、というのは自分でも覚えていませんが、高校を卒業するにあたっての進路を、ということだったと思います。高校時代は部活で忙しかったので
Q:部活は何を?
中西:野球です。
Q:どうりで。肩幅が広くて逞しい体格をしていらっしゃるので、運動をしていらしたのかな?と思っていました。野球で有名な学校?
中西:地元では野球好きが集まるような学校でしたが、自分は甲子園には行っていません。ただ部活ばかりしていましたね、高校時代は。大学に行けるほど勉強もしていなかったので、なんとなく専門学校をということで
Q:なんとなく料理ですか?
中西:そうです。
Q:それまでに料理が好きだったということは?
中西:なかったです。
Q:他にはどのような選択肢があったんですか?
中西:美容師… 漠然とした選択肢ということです。自分では手に職をつけたい、とは思っていましたが、別に料理ではなくてもよかったんです。
Q:手に職を、と思われたのはご両親がそういうお仕事をされていたから?
中西:いや、親父は自分が小学生の時に亡くなっているし母親が特別に手に職がある仕事をしていたわけではありません。漠然と自分の中で手に職をつけたいと思っていた。
Q:食べることが好きということは?
中西:全然なかったです。料理人になるきっかけというのは特にありませんが、始めてから「面白い」と自分で気づいていった、ということでしょうか。
Q:料理を学んだのは大阪ですか?
中西:京都です。
Q:京都だと和食とか懐石、ということは考えませんでしたか?
中西:いやそれは考えずに洋食だと思いました。
Q:その先にフランスがあった?
中西:当時はイタリア料理が流行っていたので、最初はイタリア料理かな?と自分では思っていました。ただし学校で習う料理のベースはフランス料理でした。教科書に載っているものを一つの班で作っていくものはフランス料理だったと思います。ただ自分 は実習自体があまり好きではなかった。鶏を触るのも気持ち悪いし
Q:えー、そうなんですか!?
中西:なんかヌルヌルしていて苦手でした。先生と一緒にする実習の授業
Q:解剖の授業のような
中西:ええ、そういうのは絶対自分からは進んでやりませんでした。
Q:今は大丈夫ですよね?
中西:もちろん(笑)。
Q:魚のワタも苦手だった?
中西:肌触りが気持ち悪くてダメでした。
Q:でも学校を辞めなくてよかったですね。
中西:まあ、そうですね(笑)。とりあえず親に授業料を出してもらっているから、学校ぐらい出て調理師免許をもらわなければ、という考えはありました。
Q:その気持ちが悪いという感触はいつまで続いたんですか?
中西:働き始めたら、もうそんなことを考える暇もありませんでしたし、先輩などの作業を見ると、肉を捌くのでも焼くのでも早くてスマートに動いている。そういう姿を見ながら、慣れていくことに納得したということでしょうね。
Q:学校を出た後にどこへ就職を?
中西:京都の先斗町にあったレストランです。小さな店でしたが、基本を学ぶには良かったと思います。
Q:小さいというと、どのぐらいの規模でしたか?
中西:厨房に5人ぐらいです。
Q:結構大きなお店?
中西:そうですね、昼と夜を合わせたら90-100名ぐらいは入る店でした。学校を卒業するときに就職を決めなければならなくて、先生に「君はなんでイタリア料理がいいのか?」と言われて、自分は「流行っているので」というような返事をしたんですけれど、先生に「とりあえずフランス料理をやればイタリア料理もできる」というようなニュアンスで説得されて就職したのがその店です。
Q:中西さんの同級生はみんな就職先を見つけたんですか?
中西:見つけたと思います。自分が仲良くしていた友達たちは結構早くに就職先を見つけていました。むしろ自分が最後の方だったぐらいですし。ただ、自分としてはレストランよりもペンションみたいな場所の方がいいなと思っていました。実はウィンタースポーツがすごく好きなので、白馬とかあっちの方で働ければと。まあ、それも漠然とではありましたが、スノーボードのインストラクターになれればとも思っていたんです。
Q:昼はスノボー、夜は包丁を握る、ということですか?
中西:そうですね。当時は何もわかっていないからそんなことを思っていました。ただし付き合いのあったインストラクターの人たちは一緒に滑りながら「これだけでは食ってはいけないよ」と忠告をくれてはいたんです。まあ当時流行っていたんでしょうし、自分も流行りのことが好きだったんだと思います。
Q:先斗町には何年ぐらいいたんですか?
中西:3年ぐらいです。
Q:そのあとフランスへ行きたいと?
中西:いや、スノボーが諦められなくて先斗町の仕事を辞めた夏に「山へ行きたい」と思っていたら、知り合いの知り合いから「バイトしてみる?」と誘われて白馬へ行きました。すごく楽しかったですけれど、これを通年続けるというのは難しいとみんなに言われたし自分でも1年ぐらいいたので実感しました。
Q:ペンションで料理を作った?
中西:いや、ペンションというかホテル&レストランです。
Q:夏とか冬の書き入れ時はいいけれど、そうじゃないと閑かもしれないですね。
中西:そうなんです。ただ忙しい時だけじゃなくて通年で見るといろいろなことが理解できるから、と言われて1年お世話になりました。確かに季節によっての仕事のリズムが、街にあるレストランとは全然違いましたので良かったです。
Q:そこではシェフがいて、その下で仕事をされた?
中西:そうです。アルバイトで行ったので、ホテルの清掃や朝食を運ぶというような仕事が主でしたけれど、料理を自分はしてきたので厨房でも手伝いたいとお願いして、仕込みもさせてもらいました。
Q:住み込みで?
中西:そうです。単なるレストランとは全然違いました。
Q:ホテルには何部屋ぐらい?
中西:16部屋です。オーナーがワイン好きで、フランス料理にワイン、というこじんまりしていても高級な店です。今でもとても好きな場所です。日本へ戻ると必ず行きます。
Q:それでも1年で辞めた?
中西:あまり記憶が定かではないんですが、ちょうど先斗町の店のシェフから「フランスへ一度来ないか?」という誘いをもらったんです。ですから行ってみよう、と。パリの外れにあるゴルフ場を経営しているレストランでした。とりあえず3か月働いてみて考えよう、と言われていました。誘ってくれたそのシェフは、自分に色々なことを教えてくれた人で、自分はとても好きな人だったんです。そのシェフと3か月働いた後、やっぱり首都圏でもっと自分を磨いたほうが良いのではないかと思って東京へ行きました。
Q:日本へ一度戻った?
中西:そうです。白馬での仕事には波がありましたし、来るお客さんたちはやはり山を目的に来る人たちでしたが、東京のレストランはその「店」を目的に来ますよね。だから一度は東京へ行かなきゃいけないな、と。
Q :それで東京のどこへ?
中西:オザミワールドという何店舗も持っている会社です。自分はオザミトーキョーという丸ビルにある店に入りました。そこで働いて、先輩たちから言われたことを痛感した、やっぱりこういうところで働いておかなきゃいけないなと思いました。