S 子さん(69)は、昨年12月、ご主人(81)を亡くし、 想像もしなかった未亡人の生活を送っている。ご主人は長崎に生まれ少年時代の思い出を胸に秘めて暮らしてきた。36歳のとき画家である彼はシベリア鉄道で70年に渡仏。S子さんは兵庫県で銀行員だった。28歳のとき、彼が個展のために帰国したときに知人に紹介され、考える間もなく結婚し、79年にパリに来た。
パリの新婚時代はどうでしたか?
言葉もわからず、日本人会でフランス語を少し学びましたが、ほとんど彼の仕事のマネージャーみたいなことをしなければならず、彼は
1日中、自分の絵の世界の中に閉じこもってしまっているので、夫婦の会話というものがあったかどうか…。サラリーマンの奥さんではないわけで、でも毎日おさんどんと買物。でもどうして耐えてこられたかというと、彼があまりにも純粋で真面目、きちょう面で、こつこつと制作している姿と長崎の生き残りだと思うにつけ、途中で投げ出したりはできないと思ったのです。
仕事のほかにご趣味はありましたか?
主人は囲碁が大好きでしたから、よく自宅に囲碁仲間を招いたりしていました。私は少女時代から父にテニスを習わせられ、パリでもテニスクラブに入っていましたから、退屈することはありませんでした。
パリで異邦人という感覚はありました?
主人と1日中、一緒にいるので、自分を異邦人だと思ったことはありません。自分のことも考えないで生きてきたと言えましょう。彼が亡きあと、とても一人ではパリでは生きていけないので、彼の死後、遺灰はまだペール・ラシェーズに置いてもらっていますが、アパートも売却できましたので,秋には日本に帰ります。彼の遺灰は、長崎のお墓に収めるつもりです。
日本に帰ったらどうなさいますか?
主人とは36年の結婚生活を送りました。まだ私にすべきことがあるとしたら、彼の作品を大切に保存し、日本の若い人びとにも見ていただけるようにすることでしょうか。そうすれば、彼もあの世で喜んでいてくれることでしょう。これからは私自身のために、パリに来る前にやっていたスウェーデン織をまた始めたいと思っています。