モーパッサンの初期の作品には、1870年に勃発した普仏戦争がテーマになっているものが多い。『マドモワゼル・フィフィ』(1882年)もそのひとつで、ルーアンの近くにある貴族の城を占拠したプロイセン軍の将校らが登場する。
執拗に降り続くノルマンディーの雨の中、コニャックやリキュールを飲むくらいしかすることのない一行。憂さ晴らしのために城に5人の娼婦たちをルーアンから呼びつけることにしたが、その到着を待つ間に、城内に飾ってある貴重な絵画や置物、グラスなどを暇にまかせて壊しはじめる。女たちとの饗宴に備えてテーブルにはご馳走が並べられたものの、無残に破壊された食堂は見るもあわれ。「テーブルの上は、肉や豪華な皿、そして城主が壁の中に隠してあった銀食器が並べられたが、その様子は、この場所に、略奪を終えた盗賊団が食事をしている酒場のような印象を与えた」。
やってきた娼婦たちは職業意識を発揮して敵国の男たちを適当にあしらうものの、デザートとシャンパンが供されるころには場の雰囲気は穏やかならぬものに。酒の勢いに任せた士官にフランス人を侮辱されてカッとしたある娼婦は、愛国心にかられて、テーブルの上で銀色に光る果物ナイフを手にする…。
モーパッサンは、パリ大学法学部に在籍のところを普仏戦争に召集された。多くの兵士と同様に、初めはフランスの勝利を無邪気に信じていたが、形勢は悪化するばかり。寒さや飢え、そして殺し合いの空しさを体験したモーパッサンは平和主義者に。1881年には、無実の人が大量に殺される戦争の非人道さ、そしてその事実を当然のように受け止める社会の鈍感さを糾弾する原稿を「ル・ゴロワ」紙に発表している。(さ)