ミシェル・アリモト氏(81)は、終戦まで父親が上海の日本大使館勤務だったので現地の幼稚園に通った。戦後、伯母さんが日本の米軍基地で働いていたので米国を身近に感じ、1950年、18歳のとき渡米した。カリフォルニアとウィスコンシン、アイオワ州の町長たちに、老人夫婦の世話をしたいと書いた手紙が地方紙に掲載され、カリフォルニアの老夫婦が後見人になってくれて船費も支ってくれた。レストランやホテルで働きながら高校を卒業し、ワシントンDCの大学へ進学。卒業後はニューヨークの電報会社で極東部門を担当。
電報会社で20年働いた後、40代からはどんなお仕事に就かれましたか?
ウォール・ストリートのある銀行に雇われ、以来2005年に定年退職するまで画面でグラフとにらめっこしながらのトレーダーになりました。
ご結婚は?
40代半ばに20歳年下のフランス女性と結婚しました。彼女はN.Y.の日系S銀行で働いていました。金融のことで彼女とはよく話が合いました。05年に私が定年になった時、私たちは、彼女の祖父母の田舎の家に落ち着きました。中央部のクレルモンフェランから車で2時間もかかる、まるで500年前の中世の村です。スーパーもなく、肉や野菜など食品は週1回、衣類雑貨類は月1回、巡回車が回って来ます。
子供がいないかわりに、6匹の猫と2匹の犬と暮らしています。にぎやかです。いま私は81歳ですが、1日中ファイナンシャルニュースを読みながら、妻とああでもないこうでもないと言い合いながら、1回100ドルくらいの株の売買をして楽しんでいます。それとアメリカの友人たちとフェイスブックでやり取りしています。
日本とかなり離れていると思いませんか?
日本には70年代に一度帰国しただけです。妻もネコ、イヌも英仏バイリンガルですが、私にはフランス語は難しく、また日本語で話したり日本書籍を読むこともあまりないので、オヴニーが唯一の日本への架け橋です。村には中国人もベトナム人もいませんから、村人は日本人である私が英語を話すのをへんに思っているでしょうね。どうせ彼らは日本語や中国語、ベトナム語の違いは分らないと思いますけど…。