たか子さん(82)は、東北大学時代から劇団に参加。仏文科の卒論テーマは「モリエール」だった。劇団にシェイクスピアの専門家・教授の小津次郎氏(小津安二郎監督の又従弟)が講演にきた時に二人とも一目惚れ。彼は24歳のたか子さんと再婚。次郎氏は、安二郎監督とは仕事の畑が違いすぎ、彼のことを活動屋と言って笑っていたそう。次郎氏は、東大教授としてシェイクスピア国際会議の日本支部2代目会長を務める。娘さん2人は、現在東京で暮らす。
ご主人は88年、ロンドンのホテルで心不全のため68歳で急死されたそうですが、その後どうしてパリに移住する気になったのですか?
夫の死後5年後の93年にどうしてもパリで暮らしたくて、その資金として、夫の父親が収集した絵画や骨董品を売却し、そしてシェイクスピア関係の蔵書をある大学に当時3千万円で引き取ってもらい、子供たちへの相続にあてました。
夫が亡くなった時、私は54歳でしたが、93年にパリに落ち着いて以来もう20年以上になり、9区のノートルダム・ド・ラ・ロレット教会の近くに住んでいます。パリのど真ん中なので、よくオペラ座やコメディ・フランセーズに観に行きます。年間パス券を買ってほとんどの演目を観ています。いつも顔を合わせる観客には未亡人や、意外に独身女性のおひとりさまが多いです。また外国の夏のオペラ・フェスティバルにはよく行きました。
観劇のほかに登録しているのは、ソルボンヌの老人講座です。ラシーヌなど古典演劇についての講演もあり、勉強になります。そして運動不足にならないように、以前は太極拳を習ったこともあるのですが、いまは家から坂道を登って行き、サクレクールまで散歩に行きます。料理はあまりしたくないので、近所のレストランによく昼食を食べに行き、常連客や給仕とも楽しい会話を交わせます。また日仏婦人の会「スズカケの会」に入っているので、そこでフランス語を学び、会員たちと美術館に見学に行ったりします。少しも寂しいと思ったことはなく、パリの未亡人生活を満喫しています。しあわせです。私は体が動かなくなってもパリに居たいのですが、夫が外国で亡くなった時、大変だったので、最期は祖国に戻ろうと思いますが、娘たちがどう思うか分りません。