『死ぬほどのユーモア』とは何だろう。

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Cabu © Pyramide Distribution

2015年が終わろうとしている。1月7日、シャルリー・エブド誌を襲撃したテロリストは瞬時に12人の命を奪った。9日にはユダヤ系のスーパーマーケットに立てこもったテロリストが4人の人質を殺害した。言語道断の蛮行に対峙する意思表示として、11日の決起デモには全国で400万人が参加した。年頭の出来事だった。
『L’Humour à mort/死ぬほどのユーモア』(12月16日公開)は、生き残った者の証言と犠牲者:カビュ、シャルブ、ヴォランスキ、オノレ、ティヌスらの生前の映像、そして見識者の考察を重ね合わせたドキュメンタリー。監督のダニエル・ルコント(本作は弟のエマニュエルとの共同監督)は、既に『C’est dur d’être aimé par des cons/バカに愛されるのもつらい』(08)を監督している。シャルリー・エブド誌に掲載されたカビュが描いたムハンマドの戯画が「バカに愛されるのもつらい」と嘆いているこの風刺画は、偶像を禁止する(とされる)イスラム、広い意味での宗教への冒涜(ぼうとく)だとする意見と、表現の自由は絶対であるという意見の間で裁判に持ち込まれたが、シャルリー・エブド誌は放免になった。この事象をテーマにしたのが前作だ。『死ぬほどのユーモア』を観ながら胸がいっぱいになった。表現の自由を強い意志をもって貫いた彼らの人生を垣間見る。それは輝いてみえる。信念を押し通したことに悔いはないのではないか。
生き残った者の言葉からは、辛さと同時に亡くなった者たちの遺志を継承してゆかねばならない責任感がほとばしる。作家のエリザベート・バダンテールは「表現者、表現媒体を持つ者が怖じ気づいて自主規制するようになったら、それこそ狂信者どもの思い通りになってしまう」と警告を発する。また自らイスラーム教徒でもある哲学者スーフィアヌ・ジトゥーニは「イスラーム穏健派という表現がよく使われるが、穏健派という枠に収まっている時ではなく、過激派に対して行動を起こさねばならない」と語る。
我々は11月13日のパリ同時多発無差別テロに再び震撼した。人類はいったいどうしてこんなところまで来てしまったのだろう?シリア爆撃の強化、”イスラム国”の壊滅、それで片付く問題ではないように思う。病巣はもっと根深く複雑だ。2015年という人類の歴史が揺らぎ、それに立ち会うことになった我々に、『死ぬほどのユーモア』は何かを問いかけている。(吉)