フロベール・医学の歴史博物館。
Musée Flaubert et d’Histoire de la médicine
フロベールが生まれたのは、外科医である父親のアシール=クレオファス・フロベールが勤める私立病院(現在は県庁)脇にある住居。一家が過ごしたこの空間は、現在は作家の足跡、そして医学の歴史をたどる博物館になっている。アーチ形の門をくぐると、庭の先に切符売り場が。ここは当時は診察室で、その奥は待合室だった。フロベールが生まれ育った家には、病や死の気配がいつも漂っていたのだ。
ソーテルヌやブルゴーニュ、ボルドーなどの高級ワインが収められていたというカーブの入り口を横目で見ながら階段を上がっていくと(フロベール親子は、ワインは健康を促進すると信じていた)、フロベールが産声をあげた部屋にたどりつく。ショーケースには、当時使われていた壁紙の一片や、作家が実際に使っていたシードル用の銀色に光るカップなどが飾られ、作家の息吹が感じられる。
この部屋の隣は食堂だったスペースがあり、さらに先に行くと広々して明るいサロンとビリヤード室につながる。このサロンには当時病院で使われていたベッドも置かれているが、これが見たことのないような大きなサイズ!聞いてみると、フランスの化学者・細菌学者のパスツール(1822-1895)の研究、p成果が世に広まる前は、複数の病人が同じベッドに寝かされるのがふつうだったのだという。この病院では、ひとつのベッドに実に6人もの病人が、頭と足を互い違いにして寝かされていた。これでは治るものも治らない。医者も衛生観念は乏しく、診察毎に手を洗うことさえしていなかった。フロベールの父親もしかりで、死体解剖を手掛けた後に菌に感染して亡くなってしまった。
モーパッサンには『二十九号の寝台』という短編があるが、その中にこの市立病院が出てくる。一度読むと頭を離れなくなるこの物語の冒頭では、ルーアンに駐屯している色男のエピヴァン大尉と美しい娼婦イルマの恋が軽いタッチで描かれる。問題は、エピヴァン大尉が普仏戦争に出征した後にルーアンに戻ってからのこと。かつての愛人が病に伏せっていると聞いた大尉が私立病院を訪ねていくと、ぽっちゃりと可愛らしかったイルマは梅毒にかかり、見るも無残にやせ細っている。ところが、大尉はそんな彼女を慰めるどころか、恐れをなして病院から逃げるように立ち去ってしまうのだ。
モーパッサンは、師匠のフロベール同様に梅毒にかかっていたといわれている。イルマや他の梅毒患者の描写には鬼気迫るものがあるが、それは自身の体験も反映されているのかもしれない。こんなところにも、彼らの文学が 「レアリスム」とくくられる理由があるのかも!?
フロベールとモーパッサン読書案内
インタビュー
『フロベールとモーパッサン友の会』の会長でフロベール専門家のジョエル・ロベールさん、モーパッサンや19世紀文学一般に造詣が深いジル・クレルーさんに、19世紀フランス文学を代表するふたりの作家について話をうかがった。
フロベールとモーパッサンは師弟愛で結ばれていたとはいえ、創作にあたる姿勢はかなり異なっていました。フロベールは何を書くにも膨大な資料を読みふけり、思索を重ねた上で作品を仕上げていきました。現在の市庁舎は以前は修道院で、フロベールはその最上階にあった図書室によく通っていました。晩年、体の自由がきかないフロベールのために、モーパッサンが資料集めなどをしてサポートしていたことも伝えられています。一方、モーパッサンは室内に閉じこもるというタイプではなく、実生活からヒントを得ることが常でした。
フロベールの小説論を知りたければ、死後に出版された『書簡集』にあたるのがいいでしょう。特に、『ボヴァリー夫人』を書いている間に恋人の詩人ルイーズ・スコレへあてた手紙には、彼の美学が詳細に語られています。プレイヤード版の1~2巻に収められているので、ぜひ一読してみてください。ルイーズ・スコレはフロベールのミューズで、彼は彼女を深く愛していましたが、作品中に自分の感情を赤裸々にぶつける彼女のスタイルは気にいりませんでした。それで、手紙の中でいかに書くべきかを丁寧に説明したというわけです。それらの手紙は、フランス文学史上の中でも際立って優れた恋文でもあります。
フロベールは小説中では客観的な描写を好み、自分の見解を述べることはありませんでしたが、手紙を読むことでそれを知ることが出来ます。『書簡集』にはフロベールの人となりがよく現われていて、彼が本当に興味深い人物だったということがよく分かります。
モーパッサンは、小説からではなくて、短編から入るのがおすすめです。有名な『首かざり』もそうですが、モーパッサンの短編は、どれも読者を驚かせるような「落ち」が見事で、読書の楽しみをぞんぶんに味わえます。
数限りない短編がありますが、例えば 『Boitelle』はとてもすばらしいです。主人公はル・アーブルの岸辺で出会った黒人女性にひとめぼれをした農家の息子です。彼は、美しいだけでなく、倹約家で勤勉、そして信心深く心優しいその女性との結婚を希望するのですが、田舎の両親は「彼女は黒すぎる」とかたくなに拒否。泣く泣く結婚をあきらめた息子は、その後一生、後悔をし続けることになってしまいました。「違い」、つまり人種差別をテーマにしているこの短編は、とても現代的といえます。無知からくる外国人への恐れは、今も変わっていません。