料理は自分自身。

澤地はるかさん(34歳)
chef01 めぐり逢い。子どもの頃から和食の料理人に、と勉強・修行をしてきた澤地さんが、フランス料理も知っておこうとこちらへ来てから、様々な店で料理人としての実地を踏み、後に自分の店を持つまでの道を開いてくれたのは、東京でアルバイトをしていた店のシェフが紹介してくれたフランス人家庭との出会い、そこで分かち合った体験だった。この家庭での滞在ではなく寮生活を選んでいたら、今の自分はない、と澤地さんは言う。
小さいとはいえ素材とアイデアと相談しながら自分を表現できる店を持って丸2年が経った。良い素材をもっと仕入れて提供するために、そしてこの世界に入った時に無我夢中で働いた自分のような若い人たちを今度は応援してあげる立場になりたいと思うからこそ、店の規模をもう少し大きくできれば、と思っている。「本当に」という言葉を頻繁に使う澤地さんは、自分にとても正直に生きているのだろうと感じる。私の印象に一番残ったのは、料理の世界に入った時には「結婚も出産もしない」と思ったが、今は一児の母として家庭を築き仕事を続けている、その幸運に本当に感謝している、という言葉だった。そして女性が料理界にもっと進出するためには、女性を支援する制度が日本の社会にも必要だと語る彼女に、心の奥で私は声援を送る。(海)

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インタビュー全文は下記から:

Q:女性シェフに会いたいと熱望してきて、本日その願いがようやく叶いました。
澤地:そうなんですか!?あまりいないのかな?でも、いると思いますよ。

Q:まずは、このお店を開いてどのぐらいですか?
澤地:ちょうど今年の10月から3年目、ですから丸2年です。

Q:お店の名前はパリと東京の間の距離だと聞いたのですが、6036というのはなぜ?実際は9000キロ以上ですよね?
澤地:キロではなくてマイルでの話です。発音した時にマイル数のほうがしっくりくる、ということですが、こうしてお話しなければ誰にもわからないですよね。

Q:するとお店は「シーミルトラントシス」と発音する?
澤地:はい、そうです。

Q:お店を開いた理由は?
澤地:私は日本でずっと和食を、こっちでフランス料理をしてきて、自分で持つなら昔から小さなお店をと思っていました。ただ、雑用から何から全て自分でしなければならないし、まして法律にしてもわからないことだらけの外国でレストラン経営をすることになると、どれだけ一人でできるのか?とはいえ日本でも自分の店は持ったことがなかったので、いろいろな意味でどんなものかな、という気持ちもありました。

Q:このお店を開かれる前は?
澤地:妊娠前にはいろいろ。

Q:お子さんは今何歳?
澤地:3歳半です。男の子。

Q:なぜフランス?
澤地:日本でフードコーディネーターアシスタントという仕事を少しだけした時に、学校時代から和食一本で来た私としては洋食を見たいならフランス料理だ、じゃあフランスへ行こう、と。単純な考えです。

Q:洋食=フレンチ?
澤地:その時代、休日にはフレンチを食べ歩いていたりもしたので、そのつながりもたぶんあったと思います。

Q:日本での和食、というのは東京?
澤地:東京の、野崎洋光(ひろみつ)さんのお店、「分とく山」(わけとくやま)です。

Q:そもそもお料理の道に入ったのは?
澤地:好きだったからです。私には料理しかなかった。

Q:それは、小さい頃から?
澤地:そうですね、小学生頃?家族が食べることが好きで、作ることも好きなので一緒に作るし、レストランにも連れて行ってくれる。そこから興味を持って、学校の調理実習が大好きで、高校進学の時に調理師科のある学校を選びました。

Q:ご出身は東京ですか?
澤地:はい。高校は、勉強をしつつ調理も学べて、本当の調理師学校から比べれば弱いかもしれませんけれども週に1-2回は調理実習、そして栄養学の授業もあって、卒業と同時に調理師になるための資格が取れるという仕組みでした。

Q:高校を出て調理師の資格を取られて、その後は?
澤地:卒業後の就職への可能性はどちらかといえば工場勤務という感じでしたが、私は子供の頃から日本料理にとても興味があったのと器が好きだったので、調理師の資格はあるけれどもどうしよう?と考えた時に、「和洋中」と分かれている学校の中で日本料理の専門である辻調理師学校の日本料理カレッジへ1年行くことを選び、東京の外を知らなかったので親を説得して関西の日本料理専門学校へもう1年行かせてもらいました。関西と東京とでは人も、食も全然違う、ということを見て肌で感じて、その後就職しました。

Q:東京から関西へ行くと面白かったでしょう?
澤地:はまります、面白かったです。関西で就職しようか、と思った時期もありましたが、やっぱり就職したいお店が東京にできてしまったので戻りました。そのお店、野崎洋光さんの分とく山には最初断られました。私がいた学校とはつながりもなく、しかも女性が入ったことのない厨房だ、というのも断る理由だったそうです。そもそも和食の世界には女性が少なく、その厳しさは他よりも際立っている。だからおそらく野崎さん自身も「女の子が一人男の中に入ったらなあ…」と躊躇されたんだと思います。私はそれでもしつこく、しつこく手紙を送って…。

Q:ラブコールをし続け…
澤地:東京へ帰るたびに「澤地です!」と挨拶に行って… そうしたら新しいお店を六本木に出す予定があるから、と入れていただけた。

Q:実際入ってみたら、女子は一人だけ?
澤地:一人だけでした。

Q:どうでした、そのプロの世界は?
澤地:大変も何も、それしかなかったので…今考えれば「よくやっていたな」とは思いますけれど、あの時にはそれが至極普通で…。

Q:そういう時って、別に女子が一人だからと周りは気を使ってくれるわけではない?
澤地:周りは気を使ってくれていたかもしれないですけれど、気を使われすぎても困るので、逆に使われないように心がけるというか…難しかったです。あちらも難しかっただろうし、私も20歳と若かったですし… 向こうもこちらも気を使う、ということだったと思います。みんなが板長と呼んでいた野崎さんは本当に気を使ってくださって、おそらく男の人には言えないことを相談する相手が必要なのではないかと感づかれて「何かあったら相談すれば」と知り合いの料理研究家のアシスタントの女性を紹介してくださったり、飲みに連れて行ってくださったりもしました。

Q:何年ぐらいお仕事を?
澤地:3年です。

Q:そこを辞めた後にフードコーディネーターさんのところへ?
澤地:いいえ、その後は新橋の蕎麦割烹へ。アルバイトをしながらフードコーディネーターさんのところで働いたのはその店の後です。

Q:こちらだとフレンチですが、料理の世界では朝早くの仕込みから夜遅くまで働くと言うじゃないですか、和食も同じですか?
澤地:変わらないと思います。私は日本ではホテルなどで働いたことがないのでなんとも言えませんが、例えば個人店や小さなお店だと、新米は誰よりも早く行って誰よりも遅く帰るというのが常識です。休日もフレンチの場合はソースの仕込みをするとか、日本料理ならば包丁研ぎとか、次の日のための漬物やそうじなど、休日出勤をしないと次の日に自分が痛い目にあうのがわかっているので、出勤して翌日からの仕事をスムーズに持って行く。これが当たり前ですね。正直言って厳しいし、休みもないです。でも逆にこの時期があったからこそ、あれだけ働いたから大丈夫、と今言えるのだと思います。

Q:若さもあったのかもしれない。
澤地:若い時にこうして、周りが見えなくなるぐらい何かをすることは良かったのだ、と今になって思います。もっとたくさんしておいた方が良かったんじゃないか、と思うぐらいです。でも逆に、今夢中になっている人が店に入ってきたら、今度は私が助けてあげる人間になりたいと思います。それは女の子にだけというのではなくて、男女関係なく、本当に思います。

Q:今、おいくつですか?
澤地:34歳です。

Q:パリへはワーキングビザで?
澤地:最初は 3か月、観光ビザでリッツの学校(Ecole Ritz Escoffier)の2か月ぐらいのコースへ入りました。楽しかったです、初めてだったし。日本ではアルバイトを掛け持ち、派遣会社に登録をして昼は調理とサービスを、夜はフレンチのお店で働いて資金を貯めました。東京のとあるホテルの朝食ラウンジサービスをしていた時、そこでシェフをしていた男性がフランスに10年ぐらい住んでらしたことがあって、彼にフランスに行きたいと話をしたら「知り合いがいるから紹介してあげる」と。社交辞令かな?と思っていたら本当にフランス人家庭を紹介してくれました。その家庭の息子2人が独立してちょうど部屋が空いているのでホームステイしないか?と誘われて、すでに寮も予約してあったのでどうしようかと迷った挙句、結局滅多にないチャンスだからとお願いすることにしました。実際に来て、会ったらとても素敵な方達で、今でも私のフランスの「お母さん」と、亡くなってしまいましたが「お父さん」という家族です。そしてそのつながりで私の旦那がいます。

Q:そういう縁があったんですね。旦那さんはその家庭の家族?
澤地:いえ、友達の息子です。

Q:旦那さんは食と関係のあるお仕事を?
澤地:違います。ハイテク関係の記事を書くジャーナリストです。

Q:結婚されて何年?
澤地:7-8年です。

Q:エスコフィエに入った時にはこちらに残るとは思っていなかった?
澤地:思っていませんでしたけれど、働きたい、とは思いました。フランス人と触れ合うには、彼らが働いている現場で自分も働かなければわからないじゃないですか? なので、一度日本で学生ビザを取ってパリへ戻ってきました。

Q:一度日本へ帰っていらっしゃるんですね?
澤地:フランス人家庭のお母さんが「戻ってくるならおいで」と言ってくださったんです。

Q:いいですね、娘同然に可愛がってもらった。
澤地:フランス料理、特に家庭料理は彼女から教わりました。今でももちろん会っています。

Q:パリに戻ってフランス語を学びながら、料理の修業を?
澤地:そうです、アルバイトをしながら言語を学びました。結婚とまでは考えていなかったんですが旦那とは付き合っていて、1年のビザが終わる時に「どうしようか」ということになりました。そうしたら日本から両親が来るというので彼と引きあわせると本気にされるかも…と迷った挙句、 まあ気にする方がおかしいと思って旦那を両親に紹介しました。そうしたら、普段は着ないスーツを旦那が買いに行ったりして…

Q:彼も気張ったんですね。
澤地:結局、私がもうすぐ帰らなきゃならないなら、と結婚しました。結婚後、最初はアラン・デュカスの魚専門店Rechレッシュで働かせてもらい、それからFauchonフォーションの惣菜部門、そしてAgapé(アガペ、パリ17区にあるレストラン)へ。色々な店を見てみたいと思っていたので、アガペへはまず食べに行って、2-3度食べた時に厨房では日本人が働いていると言われて知り合ったのが、みんなが克さんと呼んでいる当時Agapé Bisでシェフをされていた沖山克昭さんです。その時からAgapé Bisで人手が足りない時に沖山さんから呼んでいただいたり、ご自分が店を立ち上げる時にも声をかけていただきました。沖山さんはとても顔が広い方なので、彼の知り合いの日本人グループ、料理関係だけではなくて建築とかアーチストなどの集まりに、クリスマスだから、と誘ってもいただきました。そこで、渥美創太さん(前回この欄に登場いただいたシェフ)とか他の方達とも知り合って、という感じです。

Q:例えば一つのお店から次のお店、RechからFauchonへ移る時はどのぐらいの間隔で?
澤地:RechからFauchonへは、結構早かったです、5-6か月。結婚したてで、旦那が料理世界の仕事のリズムにあまり慣れていなかったということもあります。なぜこれほど長時間働くのか、ということが彼には理解できていなかった。これが当たり前だと説明をしても、やっぱり働きすぎと思われたみたいで、だったらと違うところを、と。

Q:すると次のFauchonでの仕事はまだそれほど長時間ではなかった、惣菜部門だし?
澤地:そうですね。ただ物足りなかったです。産休を取った人の代わりだったので、10か月ぐらいと期限が決まっていました。ですからその後にガストロノミー系のレストランで、しかもまだ経験していないホテルのレストランで、と思って紹介してもらったのがルテシア(Hôtel Lutetia)でした。

Q:ルテシアにも?
澤地:はい、1年ぐらい。メインダイニングにいたダヴィッドさん(ダヴィッド・レアルさん)というシェフがTour de France des chefsというシェフグループに入っていて、どこそこのシェフがブーダン・ノワール(血詰めソーセージ)を作るイベントがある、というと連れて行ってくれたり、クラシックなテクニックを私に教えてくれたりする人物で、とても面白かったです。ルテシアは大きなホテルですが、下の子を育てよう、という気質のある職場でした。たぶんダヴィッドさんがそういう人だったのでしょう。私はそこがとても好きでした。

Q:渡り鳥みたいにあちこちで仕事をすると、職場の雰囲気や空気はすぐに感知する?
澤地:そうですね 。もちろんその時のタイミング、自分の心境などにも左右されます。フランスのお父さんが亡くなった時に受けた大きなショックの後、私の中で「自分で何かをしたい」という気持ちが大きくなっていきました。

Q:フランスのお父さんというのは、ホストファミリーのお父さん?
澤地:そうです。初めてでした、ああいう気持ち。日本で祖父母は亡くしていますけれど、一緒に暮らしてはいないし私自身が幼かった。年数で言えば3-4年でも、本当に父親のように慕っていた人でしかも急だったし、大切な人の死とはこういうことなんだと。

Q:その時に自分で何かをしたい、という気持ちが生まれた。
澤地:前から、例えば日本料理が流行っているから何かを、とか思っていましたけれど、難しいとは感じていました。ある日思い立ったからといって、フランスではすぐに実現できるわけじゃないですよね。日本と違って、法律などがややこしいし…なので色々なところで働きつつ…

Q:物件を探し始める?
澤地:それ以前に、法律も全然わからない。そうしたら、沖山さんからSaturne(パリ2区にあるレストラン)が人を探している、と声をかけてくださった。とても楽しくてもう少しいたかったんですけれど、運良く、ありがたいことに子供を授かってしまったので、Saturneの方には申し訳なかったんですが、辞めさせてもらいました。

Q:出産はこちらで?
澤地:そうです、貴重な経験をさせてもらいました。

Q:産前と産後で何か自分の中で変わったと思いましたか?
澤地:産むことは別に、もちろん体は変わりますけれど、育て始めてからです。3か月を過ぎた息子をベビーシッターさんに預けてAbri(アブリ、パリ9区にある沖山克昭さんの店)で働き始めましたが、旦那がまだ会社勤めだったので夕方は私が息子を迎えに行かなきゃならない。なので、平日は朝の7時頃から夕方5時半ぐらいまで働かせてもらいました。みんなが9時頃に来ると大方の準備はできていて、マルシェ(市場)の仕入れも担当させてもらっていたので、水曜と土曜は私がマルシェへ行って、仕込みして、サービスして。

Q:土曜日も?
澤地:土曜は夜も働いていました。途中ですごく忙しくなったので、金曜の夜も働いて…

Q:大変、何と言っても時間が長いし…
澤地:普通は朝から夜中までの仕事ですし、あの時はアブリの方々にとてもよくしていただきました。私も出産を挟んでほぼ1年半以上現場に立っていなかったので、リズムをつかむことが大切で、とはいえ一度入ってしまえばそのリズムに慣れるしかない。心から感謝しています。受け入れてくれるところはなかなかないと思うので、私にとっては本当にいいチャンスでした。そのあと自分の店をオープンする際に、はじめはテイクアウトの店をと思ったのですが、平日や昼よりも週末に人が入ることに気づいて夜をメインにしようと。はじめの1年は仕事に没頭していました。子供を迎えに行くといっても、ほぼ旦那に預けてあまり会う時間もない。店が休みの日曜日、月曜日も書類とか手続きに追われていて、そのことばかり。そうしたら息子に「ママ嫌い」と言われて、どうしよう…と思いました。 仕事にすべてを捧げたのは自分だったので仕方がないとはいえ、本当に悲しかったです。そうしたら旦那が私と息子だけで一緒に過ごす時間が1日の中でたとえ30分だけでも大切だと言ってくれて、それを実践したら少しずつ…

Q:戻った。
澤地:でもパパは今でも大好きです。学校へ行き始めて、自分のリズムをつかみ始めると息子も変わってきました。今は、朝晩の送迎をしながら一緒に過ごせる時間を作るようにしています。

Q:息子さんは幼稚園?
澤地:そうです。こういうことがあると、自分の中で家族に、息子に対して、仕事に対しても見方が変わります。あの時「ママ嫌い、来ないで」と言われてよかったと思います。そうでなければ、もしかすると私はもっと仕事しかしていなかったかもしれないです。「これはまずい、子供の将来に対しても良くないんじゃない?」という旦那の言葉が私の心に響きました。どんなに小さくても自分の店なので、没頭すると大切なことを忘れてしまう。出産というよりも、そういう体験から変わったことが多いです。今は息子といる時には意識を集中するによって、仕事も、自分も変わってくるかなと思えるようになりました。

Q:私も、仕事のことを考えながら娘と遊んでいると見破られてしまうことがありました。上の空になっていると…
澤地:「ママ聞いてる?」みたいな?

Q:そうそう。何せ両立です。たくさんの女性が両立させていますけれど、言うほど簡単じゃない時もある。しかも経営者という立場で、家庭とお店ということになると…このお店の場所は、ご自宅に近いから、ということで?
澤地:一番の理由がそうです。義理の母が見つけてくれました。彼女にはそういう才覚があって、一人で銀行との資金繰りができない私を今も支援してくれています。Belle-Ile-en-Merベル・イルが、旦那の実家です。

Q:いいところじゃないですか。小さな港、Sauzonソーゾンとか。
澤地:そこで結婚しました。農家なので毛糸用の羊や豚がいて、結婚式の時にはお祭りだからと羊を一匹丸焼きに… へえ、面白いな、と。うちの旦那以外の兄弟はみんな島に住んでいて、そこの村にはうちの一家しか住んでいないんじゃないかという感じです。もともとはブルゴーニュ出身ですが、良い土地を求めてノルマンディー、カナダを経てブルターニュのベル・イルへたどり着いたらしいです。

Q:すごい開拓精神。
澤地:そうですね、とてもパワフルな一家だと思います。

Q:そのパワフルな一家のお母様が見つけてくださったのがこのお店だった、というわけですね。前は何だったんですか?
澤地:ピザ屋だったみたいです。床を張り替えた以外、内装はあまり変えていません。 逆にあまり物がなかったので工事は楽でした。

Q:このあたりは新しいお店が増えたと友人が言っていましたけれど、どうですか?お客さんはこの地区の人が多い?
澤地:遠くから来てくださる方もいますけれど、地区の人が一番多いです。

Q:どちらかというとフランス人?
澤地:95%がフランス人で、日本人もおそらく在住している方達です。たまに知り合いから聞いて、といらしてくださる観光客の方もいますが、ここは観光客が来づらい場所だと思います。

Q:確かにオーベルカンフは賑わっているけれど、こちらJean-Pierre Timbaudジャン=ピエール・タンボー側は、昔ながらの雰囲気が残っていて観光的ではないですね。今のおしゃれと昔が混在している感じ。
澤地:個性的なお店もたくさんできましたけれど、すぐ近くのアラブ人が経営する雑貨屋さんの値段を見るとまだフランで提示されていて「えー、ユーロじゃないの!?」みたいな。息子と行くたびにお土産をくれるんです。

Q:するとこちらも買い物をしてしまうけれど、こうして隣人同士のコミュニケーションが広がっていく。
澤地:モロッコでもそういう子供を大切にする文化を感じました。

Q:モロッコはどこへ?
澤地:マラケシュと海辺のエサウイラです。

Q:旅行中に食べ歩きは?
澤地:もちろん好きです。キッチンがあれば、料理をするのも好きです。好きというか、せずにはいられない。

Q:これまでにヨーロッパのあちこちを?
澤地:旅したいと思っても結局時間が取れずに日本へ戻ったり、店を次々と変わっているとまとまった休みも取れなかったりしたので、あちこち、というまでは旅していません。ベルギーには、私の友達と旦那にも友達がいるので結構行っています。 あとはヘルシンキへオーロラを見に行ったのと、ギリシャ、それから今年の夏にはボルドーから南下してバスク地方へ行きました。魚はやっぱり豊富ですね。ただ1週間キッチンが使えなかったので辛いな、と思いました。毎日レストランでもそれはそれで楽しいんですけれど、きついじゃないですか。この次バスクに行くならば、アパートを借りようね、と旦那とも話しました。

Q:料理が好きだとやっぱりレストランだけではつまらないですよね。わかります、その気持ち。
澤地:2-3日ならまあいいですけれど、1週間滞在するとやっぱり疲れます。子供がいるとレストランは不便だし。なので、旅行はアパートを借りるのが一番。

Q:ところでお店は一人で切り盛りされている、とおっしゃっていましたが…
澤地:サービスは、日本が大好きでInalco(国立東洋言語文化研究所)で日本語を専攻する女性、ワンダさんに手伝ってもらっています。彼女は英語、もちろんフランス語もそして日本語も話せて、サービス以外にもお店の片付けとか掃除などを担当してくれています。私が市場でアルバイトをしていた時に知り合って、店を開くのでどうしようと思っていた時に彼女と再び繋がって本当に良かったと思っています。独りで店を、となると料理が限られてしまうのでやっぱり誰かに手伝ってもらわなきゃならない。小さいとはいえ14席ぐらいあるので、独りで切り盛りするとなったら作り置きの料理しか出せなかったと思います。

Q:お店の料理スタイルは?
澤地:うちは料理をシェアしていただく、というスタイルをとっています。自分の中で決まっているのはスープがあって、日本料理、和食ということでおにぎりは絶対、あとはみんなでつまめるタパスのイメージで、スペインの和牛のように霜降りが入ったお肉とかサラミに近くてあまりクセのないブーダン(血入りソーセージ)など。それからサラダ、今の季節ならばキノコ系の料理が入ります。それから貝類と魚にガツンとした肉の料理で、最後にチーズ、というのが基本です。

Q:じゃあ、その基本にバリエーションをつけていく。
澤地:そうですね、おにぎりなどの定番はありますけれど、全てではなくて少しずつ、季節や入れる物によって変えていく。仕入先から送られてくるリストなどと相談しつつメニューを考えます。

Q:仕入れはどこで?
澤地:ランジスやTerroir d’avenir(パリ2区にある生鮮食品を扱う店で、肉、魚、野菜などは独自でセレクトした生産者直の仕入れをしており、シェフたちからも注目されている)と、近くにあるとても良い八百屋、オーガニック食品店などからです。

Q:ランジスには自分で足を運ぶ?
澤地:本当は行きたいんですけれど、うちの店の規模だと使い切れない。店がこの倍の大きさだったらまた違うんでしょうけれど、割高でも少しずつ仕入れる方がいいかなと。

Q:配達って、実際に物を見て選べないのが嫌じゃないですか?
澤地:築地みたいに足を運んで一匹だけでも売ってくれるところがあればいいんですけれど、フランスにはほぼないので信頼するしかない。本当にダメな物が来た時には、きちんとクレームは出しますし、写真をとって理由を説明する。すると少しは大丈夫になりますけれど、しばらくするとまた元に戻ってしまう、という闘いの繰り返しです。肉にしても同じことです。良くない物に対しては、私がお客さんに対して責任を感じているのと同様に、仕入先にも責任を持って欲しい。結局こちらが言わなければあちらもわからない。築地みたいならば、市場へ行って店とも顔見知りになって、実際に物を見ることによって私の目も養われるじゃないですか。だからここでもできるだけ市場には行くようにしています。

Q:このあたりだと、バスチーユをはじめとしたいい市場がありますよね。
澤地:そうですね、幾つかいい魚屋もありますし、小さな野菜の生産者もいます。

Q:これを、あれを作ろう、というようなことはどうやって決めるんですか?
澤地:これを作ってみたいなとか、これとこれの組み合わせが美味しかったからとか、 これをこうアレンジしたら店で出せるんじゃないか、と自宅で試したりします。この店の良さは、お客さんの顔が直接見えるので、お客さんの反応を見ながら「もう少しこうした方が」と気付くと、次の日は少し変えて出したりもできます。

Q:そういえば夜にお店を開くとなると、お家の晩御飯はどういう風に?
澤地:週末に作ったものを食べてもらうか、もしくは旦那が料理をしてくれます。

Q:ここに来て食べたりはしないんですか?
澤地:ほとんどしないです。息子にとってこの店は自分の家の一部なんですね。私の仕事の都合で幼稚園が休みの日とか幼稚園帰りに息子もここへ来ると、自分の家でと同じように振る舞うのが彼にとっては当たり前なので、私の後ろで料理をする真似、料理ごっこをしてみたり「ママ!」と叫んで収拾がつかなくなってしまう。まだ3歳でわからないということもありますが、この前日本から来ていた母とご飯を食べに来たら、お客様がいる中でいきなり「ママ、うんち!」、で私が付き合わなきゃだめ!とごねたことがあるんです。あとでワンダさんがお客様に事情を説明してくれたのでみなさん納得してくださったんですけれど… まあ、息子がいても私も仕事をしなきゃならないし…なのであまり来ないです。
その代わりに店で余ったものなどを詰めて家に持ち帰って「明日はこれを食べようね」みたいなことはあります。

Q:ワインは、自然ワインですよね?
澤地:基本は自然ワインです。幾つかのワインを除いては、自然ワインを専門に置くカーヴから仕入れています。私はワインが大好きなんですが、ソムリエが店にいないし、私自身がソムリエの資格を持っているわけではないので、専門家に聞いて美味しいものを…

Q:自然派に流れたのはどうして?
澤地:やっぱりアブリの影響はあります。それから今後のことを考えていくとこうあるべきじゃないかな、と。もちろんあまり過剰だったりしても、とは思いますけれど、美味しいことを原則に無農薬とか無添加ということは今後行くべき方向ではないか、と私は思うので、なるべく…

Q:気をつけている?
澤地:予算に合って美味しいものならばもちろん。ただオーガニックだからいい、ということではなくて必ず美味しいことが大切です。美味しくていいものならば絶対そちらに流れますね。今あるオーガニックのビジネス、ああいう流行りはあまり好きじゃなくて、それよりもオーガニックじゃなくても農家さんがなるべく農薬を使わずに丁寧に作っていて美味しいものの方が私は好きです。今は、作り手の顔が見えないものが多い。だったら私としては作っている人の顔が見えるものを選びたいです。旦那の実家があるベル・イルにもオーガニックの店があります。でも小さい場所だからこそ隣が何をどうやって作っているかが見えてしまう。おいしそうな牛乳、生乳を見つけて買って「こんなもの見つけた」と義理の家族に話をしたら、みんなが「あそこのを?農家の手作りって言っているけれど実際は違うんだ」と言われて、やっぱり住んでいて、隣が作っているのを見てしまうと同じ考え方はしないんだ、と気付きました。私たちは作り手の土地の、地元の部分が見えないからこそオーガニックはいいものだと追いかけているんじゃないか、と思います。もしも隣の農家がたくさん農薬を使っているのを見てしまったら…

Q:買わないでしょうね、確実に。
澤地:そういうことは、ベル・イルに行くようになって気付きました。

Q:料理とは澤地さんにとっては何ですか?
澤地:仕事として?

Q:全てとして。
澤地:全て… だとしたら、自分自身ですかね。自分を表現し、自分を認めてもらい、おかげでここまで多分いろんな人とつながってきたのだと思います。だからこそ苦しむ場所でもあるし。

Q:もしも料理をしていなかったら?
澤地:何だろう…あまり想像したことがないですけれど、まあダンスをもっと早く始めていれば、ダンスの仕事も好きだったかもしれません。あ、昔ダンスをしていたので。

Q:ダンスというのはどういう?
澤地:クラシックです。ただ始めたのがとても遅かった、高校に入ったあたりでした。始めた時点で他の人よりもかなり遅れをとっていますよね。だからプロになることなどは全然考えていなくて、趣味で踊っていました。… 料理をしていなかったら … とにかく何かを作る仕事だったとは思います。何かで表現したり作ったりする仕事 。あとは出会い、出会いによっていろいろなことが変わると思います。もしフランスに来て、フランスのホストファミリー、家族に会っていなかったら、私はフランスに残りたいとも思わなかったかもしれない。寮に入って、まあ学校に行っていくら楽しかったとしても、私があの 3か月で一番楽しかったのは、フランス人の家族に出会って彼らと一緒に過ごした時間だった。家族の繋がりとか、家族の間で伝わっていく料理や習慣というのを私はそこで垣間見たんです。私の日本の家族には、祖母が早く亡くなったりしたのでそういう伝承がほとんどなくて、私自身が料理の世界に入ったのがとても早かったこともあって、母から教わるというよりも逆に私が母に料理を教えるとか、父も料理が好きなので一緒に料理はしましたけれど、代々伝わってきた料理というのは、八頭の煮物なんて素朴な料理はありますけれど特にはないです。だからフランス人のホストファミリー、家族では「これがクリスマスの料理で」とか「このお皿はおばあちゃんも使っていて」とか、そういう普段の生活にいろいろな伝統や習慣があって「へえー」と新鮮で、すごいな、と思いました。

Q:例えばどういう料理を家庭で?
澤地:ブルターニュ出身なので、そば粉のガレットです。上手いし美味しいんです。道具も家族から伝わったものを大切に使っている。あとは狩猟をする家なので、ジビエ料理のコツの手ほどきなど。それからオーヴェルニュ地方にもルーツがあるので、ブレットbletteという緑の野菜、プルーン、ベーコンと 卵を使ったオムレツ、スペインのトルティヤの様な、ファルスという料理を教わる、というか一緒に作りながらわからない単語を書いてもらって覚えました。お母さんの従兄弟がそれを食べたときに「久しぶり」だと喜び、今度は私が彼の家に行って同じものを作ったら「美味しいね」と喜んでくれた。私は本当の家族じゃないんですけれど、彼らの料理を一緒に作って味わうことによって家族と何かを分かち合った気持ちになれた。

Q:家庭の味、食の記憶を共有するということですね。
澤地:こういう経験は、寮で暮らしていたら得られなかったということに加えて、その時あらためて、自分と両親、家族とのあり方、などを人の家庭を通じて考え直したりもしました。

Q:一人っ子ですか?
澤地:いえ、弟がいて、両親と一緒に暮らしています。

Q:料理の世界へ入ったのは一人だけ?
澤地:私だけです。だからこそ両親はこの世界に入ることを認めてくれたのだと思います。どういう世界かがわかっていたら、きっと「やめろ」と言っていたんじゃないかと。

Q:将来、今後の計画とか夢は?
澤地:まずは近いところで、もう少しこの店を大きくしたいと思っています。少し手狭になってきているのと、最初の予定ではテイクアウトをメインにと思っていたのでカウンターがかなり場所を取っている。だからこの部分を改造して…

Q:カウンターにお客さんを座らせるというのは?
澤地:考えてはいますけれど、物を置く場所や料理を出す場所もなくなってしまうし…馬鹿みたいに大きくしたいとは思っていませんが、いい意味でもう少し大きく、 いいものを安く仕入れてお客様に提供したい。いくらいいものがあって「たくさん取れたから安くなってるよ」と言われても、今の規模だと「じゃあ…2個」と本当に少ない量しか買うことができない。そういう意味でも生産者さんと関わっていく中でも、もう少し規模を広げたほうがやりやすいということもありますし、厨房にしても本当は私一人だけじゃなくて人と一緒に仕事をしたいです。

Q:今、夜だったらお客さんは二回転する感じ?
澤地:平日は始まりも遅いので一回転で幾つかのテーブルが二回転する感じです。週末、特に土曜日には人の出入りがありますけれど、サッカーやラグビーなどの大きな試合が週末にあるとそれだけで人出がぐっと減ってしまうので、 気をつけて仕入れなければなりません。 うちの場合には魚や肉がなくなってしまうと「ごめんなさい、予約が入っていなかったのでたくさん仕入れていませんでした」と正直に言うようにしています。余らせることでいろいろ制限されるのは嫌ですし、同時にア・ラ・カルトなので仕入れの計算が難しい。

Q:お昼は?
澤地:もう少し開ければいいんですが、手伝ってくれるワンダさんの都合と、一人で仕込む私の作業の関係で、今のところは週に1日、金曜日だけ開けることにしています。 買いだめはしたくないし、余ったら冷凍をするのは嫌だし、と最初の頃は本当に頭を悩ませました。お昼に店を開けていた最初の頃は日によって差が激しくて、明日は絶対入ると思って仕入れると人が入らなかったり、あまり入らないから少しだけと構えると人がたくさん来てしまったり… だったらお昼をすっぱり止めて近所の人が食べに来てくれる夜に専念しよう、ということになったんです。

Q:なるほど。さて、最後の質問になりますけれど、憧れのシェフ、会ってみたいシェフはいますか?
澤地:憧れ…目標という意味ではいます。

Q:じゃあ、目標、という意味では?
澤地:野崎さん、沖山シェフ。それからスヴェン(レストランSaturneのシェフ、Sven Chartierスヴェン・シャルティエさん)に関しては、あの若さで、あのレストラン形態で塩までもbioにこだわってやる姿勢と、精神がすごい。 3人が私の近い目標だったらいいな、と思っています。憧れのシェフ… 憧れ、って見ていないうちが憧れなのかなー。どうなんですかね。ミッシェル・ブラスさんとか、ああいう天才、と言われる人には会ってみたいです。あとは女性のアンヌ=ソフィーさんにも会ってみたいですね。

Q:ピックさんですね。
澤地:どういう方なのかな、と。

Q:エレーヌ・ダローズさんは?
澤地:彼女にも会ってみたいです。

Q:料理の世界ってやっぱり男性が強いと思いますか?
澤地:そうですね、これからも多分。でも特にフランスでは、今女性のシェフやスーシェフが増えている。それは国が出産や子育てに対する休暇を与える仕組みや義務を作ると、レストランもそれに従うから。それからベビーシッターにしても、私が出産後3か月で働けたのも仕組みがあったからだし、そう考えると女性シェフが仕事を続けていきやすいんだと思います。日本の場合には、普通の仕事でも女性が働き続けるのが難しかったりしますから、それこそ調理場、料理の世界となるとますます…国なり地域なりが何かしないと、男性が強い社会というのは変わっていかないと思いますね。調理師学校でもたくさん女性が学んでいましたから、日本でも料理の世界には女性がたくさん働いているとは思うんです。 ただ、結婚して子供を産んだ後に続けていくことがとても難しい職業であることは確かです。周りの、家族の理解プラスどこまで国が支援する、というか仕組みを作っていけるか。私たち女性にはやっぱり一つの大きな役割、子供を産む、という役割があるので… それだけはどうしたって男の人に代わってはもらえません。もちろん産まないという選択もあるし、私だってこの仕事についているのでまさか産むとは思っていませんでしたけれど、ありがたいことに授かって… 今は本当に産んでよかったと思っているし…

Q:アンヌ=ソフィー・ピックにしても、エレーヌ・ダローズにしても子供を産んだ後に職場復帰して、料理界で活躍をしている。ああいう人たちが出てくることによって、男性が強いと言われる料理界に対する一般の、そしてその中で働いている人たちのメンタリティーが変わってきているような気がしています。
澤地:これからも変わっていってほしいですし、変わるように自分もしたいです。日本でももちろんそうですけれど、私がこの世界に入った時には「結婚なんかできないし、子供も産めない」という固定観念があったので、子供を産める人、産みたい人がいるのが当たり前でそれを支える国と地域、社会が揃っていないと、ねえ、難しいですよね。だから、 ありがたいです。私には子供がいて、家族がいて、今の仕事をやらせてもらっている。だからこそもっと、頑張っていきたいです。

Q:二人目は?
澤地:うーん、ここで料理をする人がいなくなってしまうので…(笑)

Q:確かに。楽しかったです。お話をありがとうございました。

ONIGIRI6036

お店のスタッフ、ワンダさんのイラストが澤地さんの仕事をサポートする。上はおにぎりの食べ方。

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6036 – Dining Izakaya

Adresse : 82 rue Jean-Pierre Timbaud 75011 Paris,
TEL : 01.7371.3812
URL : www.resto6036.com
火〜土19h30-22h30、金曜のみ昼も営業12h30-14h。お店が小さいので予約お勧め。

 

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