テーブルクロスやナプキンは、よく人を食事に招くフランスの家庭には欠かせないもの。テーブルリネンに加え布巾、エプロンなどを伝統のバスクリネンとジャカード織で作るティサージ・ムテ社 (Tissage Moutet)をベアルン地方オルテーズに訪ねた。
バスク・リネンとは、昔から同地方で産する麻を原料に織られた7本の縞(バスクの7地方を示す)の入った麻織物だ。厚いものは牛のマント (暑さ・虫よけのために牛の背中にかけられた)、薄いものは衣服やリネン類に使われた。19世紀後半には綿が主流となり、ピレネー山脈から下る川の水力で織機を動かすのに都合のいい隣のベアルン地方で織物業が栄えた。
工場を案内してくれたのは、1919年創業以来家族経営の同社5代目のバンジャマン・ムテさん(写真) 。母カトリーヌさんとともに、共同経営者だ。社内と外部のデザイナーによってデザインされた柄をコンピュータに取り込むことから仕事は始まる。さまざまな色のタテ糸 (経糸)とヨコ糸 (緯糸)の複雑な組み合わせがプログラムされ、パンチカードまたはUSBメモリーなどに保存される。それができると、タテ糸をそろえる「整経 ourdissage」という工程から製造開始。織物の幅と柄に応じてタテ糸を巨大なドラムに巻き付ける作業だ。棚に並んだ糸ボビンから作業者がひとつかみの糸(何と200本!)を引き出して櫛のようなものを通して糸を一列に並ばせ回転するドラムに巻きつかせる。1.8mの布幅で最高9000本。巻き取りが終わったら、そのドラムを織機に取り付ける。
織機は伝統的なストライプ柄用のドビー織機が8台と、複雑な模様を織り込むジャカード織機が2機あるが、後者は高さ6mもある巨大なもの。細い金属棒がタテ糸を上下させる間に、斜めから3、4本引き入れたヨコ糸が目にもとまらぬスピードで走る。1時間に4~7mも織るのだからすごい速さだ。カラフルな布巾が目の前に出てきた。
長く連なってできた布巾を一枚一枚カッターで切り離す。機械で自動的に切らないのは、「織り布は生きている」ため微妙に長さが違うためだ。切り取られた布巾の端を縫っていたのは勤続40年のクロディーヌさん。指の感覚だけで均等な幅に折り返して縫う姿に熟練が感じられる。出来上がった布巾は糸くずを除くなどチェックされ、一枚一枚手でたたまれる。
売上100万ユーロ、社員18人の小規模だが安定したこの会社にも浮き沈みがあった。1970年に1万㎡の新工場を建て、社員250人、織機200台を使う黄金時代を迎えたのも束の間、75年のテキスタイル危機で縮小、98年には倒産の危機に陥り、工場を半分に、従業員を24人に減らして再建。この時、4代目のカトリーヌさんが、ヒルトン・マッコーニコなど著名なデザイナーの門をたたき、それまで布巾やテーブルクロスにはなかった斬新な柄で会社を立て直した。売上の半分はオリジナル布巾など企業や美術館からの注文品で、輸出 (30%)にも積極的だ。
この地方でバスク布を織る会社は3社。ジャカード織は全国でわずか3社というからEntreprise du Patrimoine Vivant の呼称を持つのもうなずける。バンジャマンさんは、「輸入布の縁縫いだけでフランス製と謳う商品も多数あるなか、うちはこのベアルンの地で伝統の織物業を維持していきたい。アキテーヌ地域圏も融資などで支援してくれる」と言う。カトリーヌさんも 「小さな会社だからこそ冒険ができる。その自由さ、身軽さが成功の秘訣だ」と語ってくれた。(し)