M子さん(67歳)は68年世代。70年代、義兄がベルリン自由大学で日本学の客員教授を務めていた関係で大卒後ベルリンへ行き、社会学科大学院生U氏と知り合う。旧東独で通訳したこともあり、東アジア研究所にも勤める。
85年にドイツからフランスに来た動機は?
反ナチス世代のUはドイツ脱出を望んでいました。日本国籍法改正問題がきっかけでベルリンに「日本女性の会」を友人たちと立ち上げました。82、83年に2人の娘を得ましたが、当時は父親の認知だけでは独国籍は取れないので私たちは結婚し、娘たちは独国籍を得ました。 カルカソンヌの田舎に廃屋2軒を買ったのは?
友人らも加わり自分たちで改修工事をし、宿泊施設も兼ねた国際交流協会を開設し、素晴らしい出会いに恵まれました。ドイツの数人の問題児を里子として預かったりし家族全員24時間態勢なので厳しい時もありました。また近くの旧城を買い取り、Uは特殊教育施設を運営。
97年にU氏との離婚後、そのあとは?
私たちは旧城を売り、娘2人はUが引き取りました。彼は太平洋のトンガ王国の一つの島を買ってゴーギャンのように住みついたそうです。
私の人生の後半を分かち合うもう一人の男性、ベルギー人Jは、ナイジェリア出身女性と彼女の国でナイトクラブとドッグファームを、ロンドン郊外でパブも開いた後、彼らはカルカソンヌ城跡の近くにレストランを開きましたが離婚。私はJと知り合い、その店舗を日本料理店にし、10年頑張りました。カルカソンヌに日本料理店を開くのは日光にフレンチを出すようなもので、ネムとテンプラが混同されるくらい田舎です。今は犬と村暮らし。口コミの宿泊者を迎えています。
M子さんにとって、文化的に日独仏のどの文化が一番身近に感じられますか?
若いときにベルリンに10年もいたので、Jともドイツ語で話します。娘たちと話すのもドイツ語です。フランス語で日常会話はできるのですが時事問題となるとオヴニーが唯一の情報源です。私はどこまでも日本人、栃木女です。昔から本のムシと言われていたくらいですから、日本語書籍は欠かせません。外国で生きていく上でこれが私にとって不可欠のビタミンです。