料理で自分を表現する。

佐藤伸一さん(37歳)
佐藤さんにとっての料理は、コンプレックスを克服するなかで勝ち得た、自分を守る武器であり、自信だとも言える。帯広に生まれ、札幌で料理を学び、就職、転職の後、縁あってパリ郊外のレストランへ働きに行ったのはいいけれど、佐藤さんがイメージしていたフランス料理はそこにはなかった。自分はフランスで何をしたいのか?
パスカル・バルボ氏との出会いが佐藤さんに素材の大切さ、そして料理の楽しさを教えてくれる。初めてフランスの地を踏んだ2000年から09年まで、ワーキングホリデーでの滞在1年間以外は佐藤さん曰く「闇」の中での活動だった。ミシュランで星を獲る店、そうでない店での修業、東京またはパリで店を出す計画、ブルゴーニュワインへの探求、出張料理など …  いろいろな人に出会い、世話になった。そして今、佐藤さんはミシュランで2010年に一つ星、その翌年には二つ星を獲得するレストランのシェフである。「美味しい、ということを追求するのが日本人の個性」だと佐藤さんは話す。今の店は、最近多くのシェフが提案するアラカルトメニューのない 「おまかせコース」スタイルだけれど、佐藤さんは本当の「美味しい」を追求するためならばこのスタイルから抜け出しても、と画策している。もちろんフランスの最高の食材、最高の調理、最高のワインと佐藤シェフの最高の技とセンスが次の計画にも不可欠であることは確かだ。自称 「負けん気が強い」という佐藤さんらしい。(海)
インタビュー全文:

Q フランス料理へのきっかけというのは?

佐藤
高校を卒業して、料理の専門学校へ。 僕は北海道、帯広という田舎出身で、うちの家庭もそれほど裕福ではないので家族でフランス料理を食べに行くとか、フォラグラ、キャビア、トリュフを食べるとかいうことがなかったので、一番は「どんなものだろう?」という興味とあこがれ、ということがあったのだと思います。
まあフレンチ、といえばテレビでも背の高い帽子を被っている、かっこいいシェフを見ていたりして、こういう格好いいシェフになれたらな、という憧れですね。

Q 学校は、札幌ですか?

佐藤
そうです。実地で学ぶ、ということで最初ホテルに入りました。北海道でその当時一番有名だった店で朝6時から夜2時ぐらいまで、ノンストップで働きました。僕は研修で入って、手取り7万円ぐらい。朝から晩までシェフが殴る、蹴る。罵声と暴力の世界でした。暴力というよりは指導という面目でしたが…

Q しごき?

佐藤
はい、半分はシェフの感情が入っていました。こういうのは果たしていいのか?これがフレンチだったら僕はこんなことはしたくないな、と。当時は三国シェフへの憧れが一番あって、テレビに登場する有名シェフの中でも独特な雰囲気、何か凄いものを感じて、彼のようになれたら、と。

Q カリスマ性を、ということですか?

佐藤
はい。彼も北海道出身です。彼が一番はじめに働いた札幌グランドホテルで僕も働きたいと、専門学校の頃にそこでフレンチを体験しました。当時はコネがなければなかなか働けない、名門と言われるところは特にです。コネがなかった僕は、アルバイトから入り込めば就職につながりやすい、という先生方からのアドバイスで、ビヤホール、洋食部門にアルバイトとして入りました。 その流れで就職することになり、和食も中華も洋食も何でもありのビヤホールで3年間働きました。何も知らない専門学校出の料理人にとって学ぶものはたくさんありました。ただやはりフレンチへの憧れ、格好いいもの、そしてワインにもその当時から興味を持っていたので、北海道の中でそういう店を食べ歩いてはいました。その当時、本社を広尾に持つエノテカという業者が経営しているレストランが札幌にもありまして、 そこへ食べに行った時にすごく格好いい料理と美味しいワインに出会い、学びたいと思ってそこへ入りました。
エノテカという店のシェフは僕よりも年上で、ソムリエの免許も持っていた。哲学、料理に対するしっかりした考え方があったから、楽しく働けました。そのシェフから「フランスに行かない?知り合いが料理人を探していて、もし行きたいなら」と言われまして、10ヶ月も経たないぐらいでエノテカからフランスへ。2000年のことです。

Q するとフランスのお店というのは日本人が経営するお店だった?

佐藤
いえ、オーナーはフランス人ですが日本人が歴代働いていて、日本人スタッフが帰国する時に代わりを探すという店でした。パリ郊外の小さな村のお店です。まったく前情報もなく、とりあえずフランスで、住み込みで働けるという条件だったので、2000年の秋に行きました。

Q その時にはとりあえず行こうと?

佐藤
そうです、甘いですけれど。当時は労働許可証を持っているというのが珍しかったんです。
その店に働きに行ったのですが、全然思っていたような洗練とか、綺麗とか凄いというフランス料理のイメージはなくて、町のビストロとレストランの間のような店でした。全然お客さんが入らないんです。平日はランチとディナーを合わせて10人来れば、という感じでしたが、日曜日の昼は家族連れで60から80席埋まるという店でした。オーナーは村出身で、とりあえず継いで潰さなければいいと思っていたみたいです。

Q するとやる気とかモチベーションなどは?

佐藤
何もないです。ですから僕はこんなことをしに来たんじゃない、と。フランスへ行かないか?と誘われてすぐに来たので、食材の名前こそわかるけれどもフランス語もまったく話せない。ただ紹介だったので、すぐにではなく4−5ヶ月で辞めて、というよりも、あまりのストレスで体調を崩して、辞めさせてください、と。
その頃、パリに少しずつ友達ができていたので、OVNIとかニュースダイジェストなどのアナウンスをつてにパリへ出てきて、そこからです。お金がなかったので一ヶ月だけ語学学校へ行きました。友達のところに居候をしながらワインの産地へ連れていってもらったり、料理人の集まりなどに行って、三つ星レストランで働く料理人などとも出会ったりするのですが、なかなか言葉が話せない。しかも労働許可証は当時それほど問題ではなかったにしても、労許がないと、やはり働けない。空きがない、空きがあったとしても自分が行きたい店ではない。三つ星を食べるお金はなかったので、せいぜい一つ星止まりですが、そういう店へ食べに行ってもフランス人が求めているものがその当時の僕にはまったく見えていなかったです。フランスは,何が凄いんだろう?という風に。
フランスに来て1年を迎えようとするあたりで、1年をの予定で来ていたこともあってどうしよう、と。今、日本へ帰っても、フランスへ行ってきた料理人だと言えないということもあり、負けず嫌いな自分の中には、まだ帰るわけにはいかない、フランスでまだいいものを見ていない、という葛藤がありました。
たまたまその時に、雑誌で見て予約がとれていたAstrance(アストランス。シェフ、パスカル・バルボシェフ氏の店)で、ようやく自分が思っていた以上の、待っていた以上のものに出会った。

Q それですぐシェフに?

佐藤
その食事の後に「働かせてほしい」と言うと「給料は出せないけれど」と一つ返事で。あとはConvention stage(研修証明書)などの紙があればいいという話でした。その書類は語学学校からもらえて、働きに行ったのが2001年のことです。
僕が入った時は一つ星をとってすぐ後でした。2000年にオープンして2001年の3月に一つ星をとって、僕が入ったのはその秋、店では僕が初めての日本人で、当時は厨房には3人しかいない店でした。いろんなものを吸収して、本当に楽しく働きました。半年ぐらいは給料が出ませんでしたが、本当に自分が勉強をしたかったので、生活費もなんとか親に頼んで捻出していました。

Q楽しいというのはいいことですね。

佐藤
そうです、日本にはまったくないことを自分が学べるというよりも、どこにもない、あの店にしかないことを学ぶ。

Q何がそれほど楽しかったですか?

佐藤
やっぱり料理が美味しいということです。綺麗で美味しい。そして今までの固定概念に全くとらわれていない。言葉では難しいですが、素材を活かした料理です。どんな料理人も「素材を活かす」と言いますけれど、本当に活かしている料理なんかほとんどなかった。だからアストランスのバルボだったり、バルボの師匠であるArpège(アルページュ)のパッサールなどは僕が好きなセンスです。本当に魚も肉も大切に扱って、ソースで味を操作しない。

Q Astranceには結局どのぐらい?

佐藤
2年ぐらいです。ヴィザを取るから残らないか?という話をいただいたのですが、そろそろフランス滞在も2年だし、シーズンをふた回りして、しかも当時はまだ一つ星だったので、二つ星や三つ星なども見てみたい、という気持ちがありました。ヴィザをとってくれるとなると2、3年はさらに続けなければいけない。とても楽しかったけれども、4−5年を同じ店で過ごすよりは他を見たい、という気持ちが強かったです。当時少しずつ滞在許可証の問題も厳しくなってきていて、ワーキングホリデーさえとればあと1年は働けると思ったので、シェフのパスカル(・バルボさん)に「ワーキングホリデーを取得してくるので1ヶ月休みをください」と言って日本へ一度帰りました。その時に僕が抜ける代わりに岸田修造くんが店に入りました。僕が戻れば彼は終わるはずだったんですが、僕にはヴィザがあるのでどこでも働けるし、しかもワインも見てみたいという気持ちもあって、バルボシェフの店を申し訳ないけれど辞めてしまいました。
それからブルゴーニュのいろいろなワインの作り手、三つ星レストラン、自分の興味があるところへ手紙を書いて、就職先、転職先を探しました。
ブルゴーニュは、収穫時期からが一番忙しいので収穫とそのあとの醸造だったらいい、と返事をもらったドメーヌへ。その収穫期までに三つ星も見てみたいと思ってはいましたが、いずれにしてもはじめは1年というワーキングホリデー期間後日本へ帰るつもりだったんですね。

Q まだ日本に帰る、という気持ちがあった?

佐藤
もちろん、帰るつもりでした。アストランスは圧倒的な人気の店で、料理界でも知られていて仕事にも満足感が得られたし。あとは三つ星とはどれだけ違うのか、一つ星と二つ星の差は何か、などを実際に見て体験してから帰るつもりでした。
ワインについて言えば、僕はジャーナリストが嫌いです。作れもしないのに偉そうなことを言う、歴史も知らず、器具の使い方も知らないのに美味い不味いと言う。

Q ジャーナリストとより批評家ということですね?

佐藤
個人的な好みで好き・嫌いを言い、ご馳走してもらい、知りもしないのに偉そうなことを言う人たち。いい年だの悪い年だのと勝手なことを言ったり、高いワインがいいと思ったり、という現実も好きではありません。ただ僕自身も、ワインについて勉強をした時にはいい年だ悪い年だと言っていた時代もあって、これはよくないな、と思いました。たった2−3ヶ月ではうわべしか見えないかもしれないけれど、ブルゴーニュへ行くということは作り手の苦労を知る上で…

Q 意味があったと?

佐藤
はい。アストランスを辞めて少し時間があったので、ぶどうの収穫期までパリの二つ星レストランに入りましたが、あまりにレベルが低くてなぜここが二つ星なんだろう?と思いました。確かにアストランスよりは豪華で、スタッフの数も多かったけれども、素材に対する愛情がない、と辞めました。
ブルゴーニュでワインの勉強をしてひと段落、醸造が終わって樽詰めの後、パリへまた戻って、三つ星に運良く入れて。

Q 名前をお伺いしてもいいですか?

佐藤
ピエール・ガニエールの店でした。憧れの一人でしたし、やっぱり素晴らしいです。スタッフの意識がまず、まったく違う。休み時間にも料理本を読んだりするぐらいのスタッフで、こんな奴らがいるのか、という驚き、衝撃はありました。扱っている素材もいいもので、アストランスと変わらないレベルでした。ただ丁寧さ、というのはパスカル(・バルボ)のほうがもっと上、というかアストランスは小さい店だし、数をこなすとか忙しさという意味ではガニエールの店とは違っていました。ガニエールさんの料理はクラシック、実にクラシックなんですが全部レベルが高い。各パーツが、ガニエールさんの手にかかるとまったく新しいものに生まれ変わる。彼はアーチスト過ぎて、もちろん格好いいんですけれど、ガニエールさんだからこそできる、僕が学んでも、あまり役にたたない料理でした。パスカルやアラン・パサールというのは本当に素材の扱い方がしっかりしているし、シンプルでいくらでも応用できますが、ガニエールさんの料理はもともとが応用なので、ここから学んでも… 現実として、アラン・パサールが輩出した有名料理人は山ほどいますし、アストランスからも星をとったシェフはいろんなところにいます。ただガニエール出身のすごいシェフはいないんです。ガニエールの優れた料理人たちというのは、20年、30年と彼の元で働き続けている。
実はガニエールの店はたった一ヶ月で辞めました。それは交渉の時の給料よりも実際もらった給料が安かったからです。僕の仕事能力が低かったからかもしれない。でもまだ 「日本人は安く便利に使える」という時代でもあった。今みたいに「日本人は能力があるからとりたい」という時代ではなく 、あくまでも便利で文句も言わず…

Q 器用で、とか?

佐藤
そう、器用だし、よく働いて、という。

Q それはいつのことですか?

佐藤
2003年です。
辞めて、アラン・パサールさんから派生した、当時一つ星の店へ行きました。そこではオーナーシェフ、シェフ、そして僕ともう一人日本人がいました。僕ともう一人の日本人の二人でほとんど全部、前菜からメイン、ほとんどを作り、オーナーシェフもシェフもほとんど何もしない店でした。そこでは労働許可証を取ってくれるという話で、フランスに少し残りたいかなと思っていた頃だったのでお願いしました。ただやっぱり自分が納得できる料理ではない、ということがどこかでひっかかっていたのと、まかない(料理)のことが問題で…
まかない用に安い食材しか買ってこない。パスタがあっても具をくれず、バターと胡椒だけ。卵があってもベーコンをくれないので、カルボナーラもできない。お米は買うけれど、たまに卵をもらってもチャーハンぐらいしかできない。工夫して精一杯作るんですけれど、サービス担当で頭が堅いフランス人から「俺たちは日本人じゃないからこんなに毎日米ばかり食わない」と言われ、「シェフが買ってくれないし、僕が作るものと日本人だということは関係ない、これでも一生懸命作っているんだ。」と説明をしたらブツブツ言って「お前の気持ちはわかるが、俺たちは毎日米ばかり食えない」とまた同じことを繰り返す。ちょうどその昼も満席で営業の10分前だったのですが「ああわかった、ふざけるなよ!こんな店はもう辞めてやる!」とすぐに荷物をまとめました。カーッときたらすぐに辞めてしまうんです。実はパリではもう15軒以上で暴れています。2日、3日で辞めてしまった店も数知れず、です。
「僕も辞めます」と店に言って、道連れにしてしまった日本人シェフは、今7区にNAKATANIという店を出した中谷(慎祐)君です。
その後どうしようか…お金もない、労働許可証もない、でもパリに居たい…ワーキングホリデーも終わりかけていました。そんな時、僕が顔を出していたワイン好きの集まりで、お金持ちの日本の方に出会った。その方がパリへいらっしゃる度にご飯を一緒に食べるかたわら、僕は労働許可証がなくても働けるブラッスリーやイタリアンなどで闇の仕事をしたり、または高級品の買い付けや、引越し業など…お金になることをとりあえずしながら食いつないでいました。今後どうしよう、と考えていた矢先、知り合ったその方が「店を出したい、という夢があるのならば応援したい」とおっしゃってくれた。
東京に店を出そう、といろいろな話をしながら1年ぐらいが過ぎて、アストランスは有名でとてもいいお店だから君の看板になるけれど、もうひとつぐらいそういう店で働いては?と言われて、当時話題になり始めていたスペインのムガリッツMugaritzへ。 ムガリッツには9ヶ月ぐらい、完全なタダ働きでした。料理人50人中45人はタダ働きです。南米から来た料理人たちはヴィザもなくて。まあ山奥にあるのでヴィザの問題はありませんでしたが。その間の生活費はオーナーシェフが…

Q アンドーニさんでしたっけ?

佐藤
そうです。スペインでの仕事が休みの時には日本へ帰って日本の食材を触る。その日本人のパトロンが、日本の有名な料理雑誌の編集長など、すごい人たちを家に招いて料理をする場を作ってくれた。ただフランスで自分が作っているような料理にはならない。素材が繊細すぎるんです。今ひとつ自分の求める味にならない、ということに少しずつ気づきはじめる。

Q 日本の食材が繊細?

佐藤
はい。フランスで作っている料理とは同じものにはならない。魚も弱いし火を通すとふにゃりと身が柔らかくなってしまうし、バターにも負けてしまう。

Q そうですか。

佐藤
そうなんです。日本の食材は素晴らしい。でも反対の話だと、フランスへ和食の料理人がいらして料理をしても、大味すぎるとか野菜が固すぎるとか、そういうことをおっしゃいます。やはりその国の文化じゃないですか、料理は。その国の食材があって、調理法が生まれて、料理が出来上がっている。そのことに気づいたんです。
ムガリッツはスペイン最先端で、科学的な料理もしていました。ただ、「手品の料理」です。初めて見た時には驚くし感動しますが、食べた時、種明かしされたものを食べるとちっとも嬉しくない。そこに本当に「美味しい」というものがあれば、焼肉でも焼き鳥でも何度でも同じものを食べに行くじゃないですか。それは「美味しい」からなんです。その「美味しい」がムガリッツの料理にはない、と気づきました。これは食材の力でもあります。だから、フランスから日本だったりスペインだったり外へ出てみて、フランスの食材の凄さをあらためて思い知ったのです。
東京でも物件探しは始まっていましたが、「これだけの投資額で同じことができるのならばパリで始めませんか?」と僕が提案して、パリでの物件探しが始まりました。ただきちんとした日本人にとってはフランスの書類の面倒臭さ、のろさ、というのは理解できないし、我慢ならないものなので、「君に任せていても全然進まない」「君は、料理はできるかもしれないけれど…」

Q マネージは無理だと。

佐藤
はい。会社を作って給料をもらって、労働許可証もとって…という道のりに僕もだんだん不安になって、結局「やめましょう」ということになりました。
その後は、労働許可証もなく、相変わらずお金もなく…

そんな僕の状態を知って、周りにいた駐在員やいろいろな知り合いたちから「何もやっていないのだったらうちに料理を作りにきてよ」という依頼をたくさんいただくようになり、「うちの娘に料理教室を毎週開いてください」とか。ある程度余裕のある方たちに助けられて…

Q 出張料理のようなことを始めた?

佐藤
とりあえず出張料理でなんとか生きていけるようになりました。知り合いの家に行って、ご飯を作って、お礼をもらうだけなので、労働許可証がなくても闇とはいえ仕事になった。こういう裕福な方たちとのおつきあいからそのうちまた出資者が出てくれば、とも思っていました。
アストランス時代からずっと付き合いを続けていたデノワイエ ( Hugo Desnoyer)さんという有名な肉屋には、 出張料理の頃も週に2−3度は肉を買いに行っていて、「うちにも名刺を置いたら」と、フランス人のお客さんを紹介してくれました。そんな頃和食の相田さん、彼はワインがお好きで昔からつながっていて、彼自身のお店を出す前だったのですが「伸ちゃん、うちにいくらでも泊まっていいから」と言ってくださる。結局4年ほど住まわせてもらって、ご飯も食べさせてくれて…とてもいい方なんです。たくさんのいい人たちにこうして応援されて。

Q 恩人がいっぱい。

佐藤
はい、たくさんいます。
…で、4年も経ってしまった。出資者が現れれば、と活動もしたのですが、なかなか難しくて。そんなことをしている間に岸田周三はいつのまにか三つ星スターになり、また周りで働いていた日本人の料理人たちも料理雑誌などで紹介されるようになる、そのかたわら僕はただ夢ばかりを追いかけて、無職、居候、何もない状態。
彼女もいましたが、仕事も収入もないのにさすがに「結婚したいです」とはとても言えない。このままではいけない、と思っている時に日本からまた二つぐらい話があったりしたんですけれど、今の店の場所で肉屋デノワイエさんの息子ギヨームが肉のビストロを始めたい、労働許可証もとろう、と提案してきた。それなら自分のやりたい形ではないけれど、とりあえずフランスで自分の料理を発表できる、ということに惹かれて始めたのが2009年です。

Q すると最初はお肉のお店として始めた?

佐藤
そうです。最初は日替わりランチ19ユーロで始めて、まあステーキとポテトフライ、Steak Fritesですよね。日替わりは前菜とメインで構成されていて、ア・ラ・カルトだとEntrecôte
(牛のリブロースステーキ)とか、フォワグラのテリーヌなど、肉ばかりでした。

Q
その時代にはア・ラ・カルトがあったのですね?

佐藤
はい。2009年の4月に始めたんですけれど、デノワイエという名前のおかげかそのつてか、すぐに料理評論家やジャーナリストがやってきました。最初から満席です。40から45席の店でした。僕一人と洗い場と、2人でやっていたんですけれど…

Q
おひとりで厨房を?

佐藤
朝も夜中もずーっと仕込みで、1日に3時間ぐらいしか寝る暇もない。そんな状態だったので、誰でもいいから一人入れてくれ!と研修生のような日本人の女の子を入れて、3人で切り盛りしていました。その後パティシエが入り少しだけ余裕ができた頃から、「伸ちゃんが店をやってるなら行こうよ」といろいろな方が来てくれて、「これも美味しいけれど、前の伸ちゃんの出張料理が食べたい」と言われる。出張料理では、8皿とか10皿のコース料理を提供していたんです。さすがに10皿は出せないけれど特別に、とメニューにはない5−6皿を出すのを隣の人が見て、「何あれ!?全然違う料理が出ている!」という状況がよくあるようになって、見ていたジャーナリストたちも「あれは何だ!?」、「俺もあれが食べたい!」と。そして食べた人からは「次回もこれにしてくれ」とリクエストをされる。こうしてそちらの方へだんだん移行していきました。
僕は2年ぐらいかけて店を変えたいな、と当時オーナーで今は共同経営者のギヨームに言っていました。彼にはいいものを素直に認める素養があったので、「夏休みに改装してガストロノミーな店にしちゃおう」と提案した。4月にオープンして、同じ年の 8月にです。

Q たったの4ヶ月で?

佐藤
はい。新しかった店を改装して9月にはガストロノミーのレストランに。僕が出張料理をしていた時からネットで情報を見てくれていた料理人が、「佐藤さんと働きたい」と日本から来てくれたりしました。開店前に4−5人集まって、8月末か9月始めに新しくスタートを切りました。
オープンした2日目に、お客さんの一人が最後にミシュランの名刺を見せて「美味しかったよ」と帰っていった。

Q その翌年に星を?

佐藤
獲れるとは思っていなかったんです。使っている食材は、アストランスなどの三つ星とは変わらないし、 技術も学んで、持っている。ただ、それまで飲食業での経験がほとんどないギヨームなど、未熟な部分があったので、さすがに1年目に星を獲るのは無理だろう、と思っていました。

Q 実際に獲ってどうでしたか?

佐藤
なんとも思わないです。嬉しいですが、あーよかった、というだけで。星を獲るのは当たり前だと思っていた、自信過剰だったんです。だから「あ、獲れたな。すげえじゃん。」と。
どんな料理人も、星を獲るという実感はおそらくないと思います。電話はミシュランから来ない。三つ星は違うかもしれませんが、一つ星、二つ星にはミシュランの本すら送って来ない。買いませんか?という案内はミシュランから来ますけれど。

Q 通知は一切なし?

佐藤
何にも。表彰されるわけでもなくメダルをもらうわけでもなく、ある日「一つ星です」と本に掲載されるだけです。
そこで3年ぐらいで二つ星へ行こう、と思いました。二つ星も獲れる、という自信がありました。何故かというと、普通に二つ星の店で働いてきたスタッフもいたし、僕自身も二つ星を経験して、どういうものかということをわかっていた「つもり」だったんです。足りないものは全部足りない。店も狭いし、テーブル、椅子、食器もそれほど上質のものではない。ワインリストにしてもそれほどよいとは言えないし… やるべきことはたくさんありました。
ワインならば、僕はブルゴーニュで2度作り手として働いているのでそのコネもあるし、どういうワインが素晴らしいか、ということもわかっている。ただすべてお金のかかることなので、ひとつひとつ、売り上げと相談しながらできることをしていく。そういう意味で二つ星獲得までには2年、3年は最低でもかかるだろう、と思っていたら、本当に運というかタイミングよく2年目に。

Q 早いですよね。

佐藤
早いけれども、本当にタイミングの問題だったと思います。他の料理人仲間の中にも二つ星を獲って当然の人がいる。三つ星となるともっと独創性を、とさらに難しくなると思いますが、まともな日本人シェフだったらみんな二つ星は獲れると思っています。ただそれは、その時のタイミングだったり、コピー料理ではだめなのでオリジナリティが必要だったり、あとはもちろん内装やワインリスト、サービスなどのすべてが絡んできます。僕はたまたまそのタイミングが合ったと思っています。あれからもう5年経ちました。2009年にオープンして、2010年に一つ、そしてその翌年に二つ星です。

Q維持、ということは考えていますか?

佐藤
何も考えていないです。

Q ならば別になくなっても構わない?

佐藤
なくなっても構わない、というよりも、そういう風ではない店をやりたい、と。楽しいです。ガストロノミーという意味ではすごく楽しいですけれど、今、僕の仲間の日本人シェフたちも含めたシェフたちが提案する「おまかせ」という料理スタイルはアストランスがそのさきがけ、2000年頃に最初に始めたのだと記憶していますが、どこへ行っても今は「おまかせ」で、みんな優秀でいい食材を使うとなるとどこへ行っても変わりばえしない料理になってしまう。なんかつまらないなぁ…と。なぜみんな同じことをするのだろう、僕はそこから抜け出したい、と思っています。
僕は魚、貝が好きなので、たくさん出します。でもお客さんの中には魚介類が苦手な人も多い。みなさん1ヶ月前から予約をとっていらっしゃる。寿司屋に魚が嫌いなのに来るお客さんと同じでなぜ?と思いますが、いらっしゃるその人だって楽しみにして、しかも高いお金を払う。するとその人は悲しい思いをして帰らなければならない。もちろんできるだけのことはしますが、僕の本意ではない料理を出さなければいけないとなると、どちらも不幸です。だからといってこの20席でア・ラ・カルトのスタイルに戻すと経営的に厳しい。これだけいい素材を使っていると、ロスがあっては到底店を回すことはできないし、値段を上げざる得なくなる。となると、不景気な今のパリ、フランスでは到底難しいことになります。消費者、お客さんの身になって考えた時に「おまかせ」スタイルというのはどうだろう…という疑問は抱いています。
ミシュランは常に意識しています。 「ミシュランは関係ないよ」と言う料理人もいますけれど、あれは負け惜しみです。僕にとっても、ミシュランというのはフランス料理人にとっての勲章です。どんなに他の賞が存在してそれをもらったとしても、やっぱりその賞だけの話にとどまってしまうし翌日には皆忘れてしまう。世界を相手にするのでもないし…

Q やっぱりミシュランは凄い?

佐藤
凄いです。斬新な料理をランキングするサンペリグリーノもありますが、あれはちょっと違う。 僕は斬新な料理は嫌いです。皿の端に盛る、というのはアレクサンドル・ゴーチエというLa Grenouillèreのシェフが始めたことで、そのあとも似たようなスタイルが出ました。流行っているものをただ真似るのは無意味なことだと思っています。初めてやった人は、その人なりの意味があって始めた。たとえばNoma(ノマ。デンマーク、コペンハーグにあるレストラン)でアリを食べるというのも、その土地の風土習慣からきていると考えれば意味のあることですが、パリで僕がアリを皿に乗せたらそれは,真似でしかないし、美味しくもない。僕が皿の端に盛り付けたからといって、それは僕の哲学からではない。コピー商品なんて何の価値もない。でも今、そういう料理が世の中に溢れている。僕はそっちじゃないほうへ行きたい。だからそういう意味では、僕が信じている料理をミシュランがもし評価しなくても、まったく構わない。

Q おまかせスタイルから抜け出るなら、何をしたいですか?

佐藤
肉と魚の炭火焼専門店にします。それは、僕が年に5-6度通っているスペイン、サン・セバスチャン近郊にそれぞれの専門店があって、そこで食べるものは世界中にあるどんな三つ星レストランのものよりも美味しいと僕は感じています。シンプルに、まるごとturbot(石平目)の炭火焼とか、肉の店ではお肉しか出さない。もしその二つが合わさった店があれば、魚が嫌いな人は肉を食べればいいし、その逆もいい。最高の食材、最高の調理、最高のワインを出す高級な店をやりたいんです。カジュアルでワイワイみんなが楽しむ店にはしたくない。日本でもいい店、天婦羅を食べに行くと一人当たり1万5000円、2万円かかる。僕は寿司が好きで、東京では寿司ばかり食べていますが美味しい寿司だって同じことです。
ひとつのことを突き詰める。自分の創作といいつつひらめきだけ、一度だけの料理で格好いいだけ、自分に酔っているだけの料理に、僕の料理もなりかけていました。今はそうではなく本当に美味しいものを作りたいと思っています。「美味しさ」を追求することが日本人の個性だと僕は今感じています。日本人は「美味しい」ということに、アートよりもおそらく重点を置いています。NomaやEl Bulli(エル・ブジ。スペインにあった三つ星レストラン)なども凄いと思いますが、日本人の中では評価が二分する。こちらの人たちはみんな「凄い!」と言いますが、日本人は「面白い、よかった」か、「凄いけれど、美味しくなかったからもう行かなくてもいい」かに分かれます。NomaやEl Bulliでは、彼らのエンターテイメントをお客さんが喜ぶ。つまり「美味しい」を追求するいうことに比重を置いていない。なので、僕がNomaへ行った時には、確かに面白かったけれど、メインの肉や魚のクオリティはそれほど良くないし、あれはあれで凄いんですが、美味しいとは思わなかった。
僕は、柚子やわさびや味噌や醤油という日本の調味料を使うシェフを否定はしません。センスがいいシェフならば上手に使うと思っています。でも僕はどちらかというと日本人が求める「美味しさ」をもっとシンプルにしていきたい。Poulet rôti(鷄のロースト)だって、いい鷄の熟成具合を見極める。poularde(若い雄鶏)だって2週間は熟成させる。熟成させないで、不本意なまま仕事をすることにストレスを感じます。いい鷄をいい状態、完璧な温度で焼き完璧な塩加減で出すならば、凝った盛り付けも要らない。そういう日本人の職人世界にテンションを持っていきたい。今すぐではないですが、炭火焼もその一つです。
負けず嫌いなので、三つ星を獲ってみたいという気持ちはもちろんあります。 ただ、もしいつか三つ星を獲れたら、その日に返上します。獲れたことで満足、それ以上のものは要らない。二つ星へのプレッシャーは感じています。最初は二つ星って「凄い」と思いました。なぜ凄いかというと、Tour d’Argent(トゥール・ダルジャン=現在1つ星)や、Grand Véfour(グラン・ヴェフール。現在二つ星)など凄い店、歴史的な店と同じ評価を受けている。だから凄いな、と。自分の料理が二つ星のレベルに入っているか、店の内装やワインリストすべてがそのレベルに達しているかというと、自分的にはそうではないと思うし満足はしていない。とりあえず何をしても満足はできません。常に上がありますから。

Q 佐藤さんにはきっとフランスの水が合っている。フランス人は満足することを知らない。「これはいい、でもね…」と必ず返してくる。

佐藤
僕も常にそれです。残念な人生です。辛い、というか自分で辛い方向へと持っていくというのか。

Q 満足しないのはいいことだと思います。

佐藤
僕もそう思いますが、それが生きていく上ではいいのかどうか。都会に生きて、いい服を買って、いい家に住んで、いい車に乗って…欲がどんどん出てくる。たとえばフランスの地方、ブルゴーニュの田舎の何もないところで家族と平和に暮らすほうが、本当は幸せだと僕は思うんです。でも僕にはできない。そういう素朴な日常の幸せを突き詰めていけば、今以上の本当の幸せを得られると思うけれど…
会社を大きくして、店舗を増やす。GYOZABAR(同じPassage des Panoramas に1店舗、パリ3区にももう1店舗)をやっているのもそうです。なにしろ共同経営者がビジネスマンなのでいろいろ一緒にやろう、という話で。

Q 日本に帰って何かをしたい、という気持ちは?

佐藤
まったくないです。今はJAL の機内食の監修などもあってしょっちゅう日本に帰っていますし、イベントも東京や地方であるので、これでいいかな、と。フランスの食材が好きで、フランスの食材でなければ僕の表現したい料理ができないので、日本で店をやることは不可能です。全部適正な価格、状態で、同じ食材がすべてある、というのならば日本で店をやってもいいとは思います。でもそれは不可能です。日本に同じ食材を輸入して料理を作ったとしても、野菜でもその朝に摘んだものをパリで受け取るのと、空輸して3日、4日後受けとるのでは、まったく違う。僕が目指している味は出せない。そういう意味で、なぜ日本でフランス料理をつくる意味があるのか?と。なぜ日本でフランス料理を食べなければならないのか?極論ですけれど、フランス料理はフランスで食べたほうが美味しいし、日本料理は日本で食べたほうがもちろん美味しい。僕はこういう考えです。

Q さっきも日本の食材ではフランス料理はできない、とおっしゃったじゃないですか。ならば日本とかフランスというのを取っ払って、佐藤さんの料理というのならばできるのでは?

佐藤
一から考え直す、自分の概念を壊して料理をゼロから始めなければなりません。僕がフランスを引き上げて、日本で何年かかけてスタイルを作り上げなければできないことです。

Q 今はこれまでここで培ってきたものを大事にする。

佐藤
日本へ戻る時が来るかもしれない。でも、ここで自分にとっていい素材が揃い、しかもここからのほうが世界へ発信できる、という今の状況を考えると、パリの店を潰してまで日本へ行く理由はない。元ジョエル・ロブションの右腕で日本へ戻った須賀洋介さんと最近よく一緒に仕事をしますが、彼の料理はかなり和食へ近くなっています。彼自身も「日本に帰ってきて料理をつくったらやっぱりこうなる」と言っています。本当にそうだと思います。日本の食材に合わせたら、こっちで作っている味にはならない。その柔軟さが彼の凄さです。僕の場合は今使っている素材が最高に美味しいと思っているので、この素材を使わなければ僕の料理にはならない。でも、僕はただ若くて生意気なだけかもしれません。

Q 尊敬する料理人は?

佐藤
たくさんいます…やっぱり一番教えてくれたパスカル・バルボ、アラン・パッサール、ミッシェル・ブラス。ピエール・ガニエールももちろん尊敬しています。オリヴィエ・ロランジェ…それぞれの土地に生き、自分の哲学、料理、時代と、その人にしかできない料理を作ってきた。
僕も迷った時期がありました。星を獲って「何かやらなければ」という気持ちから、美味しさプラス面白さを追求し過ぎた、と思っています。料理本を日本で出版するつもりで2年ぐらい前から料理を撮りためているなかで、去年の料理はすごく古い、考えていることが今とは全然違うと気づく。変わっていくべきとはいえ、これほど変わるものか、という感じです。
3、4年前、二つ星を獲った時の料理などはちょっと恥ずかしいほどで、その時には精一杯でもやっぱり二つ星というプレッシャーがあった、という痕跡が自分に見える。今とほとんど同じ料理でも、細部においては全然違う。どんどんシンプルに、人に何と言われようが自分が美味しいと思えばいい、という風になってきています。
お客さんは星を食べにきているのか、俺の料理を食べにきているのか?と思う時もあります。ただお客さんに喜んで欲しいというのが原点です。そしてお金を払って食べるものは美味しい、というのが最低の条件です。ただそれが、最近は違う方へ向かっているような気がしています。
「日本人初の二つ星」ということは僕にはどうでもいいことです。ただ単純に「あー、今日美味しかった」と言っていただくのが一番です。プレッシャーがあった時期もありましたけれど、今は全然ありません。うちには最高の食材と優れた料理人がたくさんいるので美味しくないわけがない。もっと単純に、美味しいものを作ったからお客さんが喜ぶ、ということに戻りたい。世界中から認められるフランスのいい食材を、丁寧に調理し、ほどよい塩加減で出す。でもこれが最高ではなく、さらに上があります。単純に、周りが騒ぎ立てるよりも普通に美味しいものを作って、お客さんに喜んで帰ってもらったらいい。
三つ星への興味はあります。二つ星で止まる、というのはフランス料理人として中途半端で終わるということでもあるので。

Q みなさんにお聞きしているのですが、佐藤さんにとって「料理」とは何ですか?

佐藤
自分の表現手段です。昔の話に戻りますが、僕は背が小さい、イケメンでもなく家も裕福ではない。 自分はなんて人より劣っているんだろう、とそればかりです。だからこそ人に認められたい、すごい!と言われたい。今は、料理で自分を表現できる。昔、何歳だった忘れましたが、僕が作った料理を誰かが「美味しい」と言ってくれた。評価されたその喜びがおそらく原点になって始まっている。自己顕示欲、負けず嫌い。僕が料理を作ると誰よりも美味しく作れる。たった一つの素材で、うちで言えばブロッコリーとか人参のアミューズが、一つの食材でこれだけのものを作れる、という自信がある。だから自分にも料理にも嘘をつかない。安い食材を使って儲けるようなことは絶対にしない。経営者としては失格なんですが…
現代の料理人は、ただ料理が美味しいだけでもいけないと思います。内装から、食器、スタッフ、ワインリストまで、すべてを自分でプロデュースしなければならない。GYOZABARも、いわゆる餃子屋ではなく自分が行きたいカッコイイお店にしたかった。今年中にまた別の形態の店を立ち上げるつもりですが…

Q この地区に?

佐藤
はい。同じパッサージュの中にです。やっぱり職人気質で料理だけを小さくやっていたのでは、料理人の夢がない。朝から晩まで命をかけて仕事をしていても、収入は決していいわけではない。こだわればこだわるほどメニューの値段は高くなるが、反対に客足は鈍る。星付きのレストランなんてどこもそれほど儲かってはいないと思います。それでも楽しいから、プライドがあるからやっているのです。
一人の人間として、好きな時に好きな物を食べ、好きな服を買って、好きな場所に旅行ができる、ということにも僕は魅力を感じます。ですから金銭的にも成功し、若い子達に夢を与えたい、と思います。僕はまだ独身ですが、奥さんと子供がいたら今の給料では到底暮らしていけない。仕事は楽しいけれど、給料が安い…という料理人地位の向上にも貢献したいと思っています。たくさんの人のおかげで料理人の待遇や労働環境も改善されてはきています。ある程度人から注目される立場になって、そういった責任を感じるようにもなりました。社会へ何か還元できないか、とも思います。本当にいろいろな人にお世話になって、今の自分がある。いただいたものは返していかなければいけない。ただ恩返しをするのではなく、より若い世代の力になりたい、と 考えるようになりました。

Q 今厨房には何人?

佐藤
8人ほどです。

Q 結構多い?

佐藤
そうですね、20席の店にしては多いです。ただ今の料理を作るにはこのぐらい必要です。

Q スタッフは日本人が多いですか?

佐藤
半々ぐらいです。なぜなら今は日本人の人材不足の時代、みんな店をオープンするので(笑)。だから日本人がいない。ワーキングホリデーで働きに来ると、1年で日本へ帰ってしまう 。1年で辞められると結構辛いし、労働許可証が昔よりも取りづらくなった。

Q 弁護士をたてなければならない、ということですか?

佐藤
弁護士というより最低賃金が手取りで1800−1900ユーロぐらいの申請をしなければ書類が通らない。社会保障などを入れたら月2300ユーロぐらいになってしまう。その最低賃金を出してもいいと思える人材が少ないし、うちだって経営的にも難しい 。だからそれなりにいい店で働いてきて料理への意識をしっかり持っていて、ヴィザの問題がないイタリア人が2人、そしてカナダ人が1人います。

Q 最初に北海道の職場で蹴ったり殴ったり、という話が出ました。料理の世界はよく軍隊の世界と比べられられます。そのことについてどう思いますか?

佐藤
軍隊、どうでしょう…刃物を持っていたり、油があったり、厨房は危険な場所なので、生半可な気持ちでは働けません。怪我をするし、命につながるし、変なものが料理に入ってしまえばお客さんの命だって奪ってしまうかもしれない。人の命を預かっている以上、中途半端ではなく厳しい教育が必要と、殴るなどの行為もあるかもしれませんが、口で説明できることです。

Q レストランの厨房を取材すると、上下関係がすごくはっきりしている世界だと感じます。そういう意味でも軍隊と比較されるのかな、と。

佐藤
僕はみんなと楽しく働きたい。楽しく料理を作りたい。仕事に喜びを感じなければいいものはできないし、「やらなきゃ」という義務感にかられた仕事はたぶんいい仕事ではない。 シェフはみんなの気持ちをまとめる役です。だから厨房では「ウィ、シェフ!」などという声が飛び交う。僕も最近怒ることがあります。それは、料理はみんなの作品だけれども、僕の名前が一番前に出ているからです。お客さんに出すものは僕が満足できるものでなければならない。よくスタッフに、「客単価200−300ユーロというお金を君は簡単に払えるのか?プロとしての責任をもっと持ちなさい」と言います。満足できるものでなければ、僕は容赦なく言うし作り直させる。失敗してしまったものをお客さんに出すということは、うちでは絶対にありえません。「君が200ユーロ出して食べに行った店で失敗した料理を出されたらどう思う?二度と行かないでしょう?」ということです。シビアな世界です。軍隊に入ったことがないのでわかりませんが、本当にみんなの気持ちをひとつにして同じ方向へ向かっていかないとできないです。それをまとめるのがシェフの仕事です。そういう意味ではある種brigade(軍隊などの班)と言えるのかもしれない。とはいえ僕はもっとみんなで楽しく仕事をしたい。ただ楽しいけれども規律は守る。当たり前のことです。

Q けじめをつける?

佐藤
はい、そうです。

 

 

 
 

Passage 53

Adresse : 53 passage des Panoramas, 75002 paris
TEL : 01.4233. 0435 (要予約)
URL : http://www.passage53.com
昼のコースメニューは60€、夜は140€

 

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