映画評論家中川洋吉インタビュー
映画評論家 中川洋吉インタビュー
大映撮影所を経て1968年から13年間フランスに滞在。フランス映画批評家連盟会員。著書に『カンヌ映画祭』『挫折する力―新藤兼人かく語りき』他。日本大学藝術学部映画学科講師。今年でカンヌ参加は38年目。
─ 1977年からカンヌ映画祭に通われていますが、映画祭の変化は感じますか。
1983年の(メイン会場である)新しいパレ誕生以降、規模が大きくなったことは明白です。それまではいわゆる「ヨーロッパの映画祭」でしたが、世界的な映画祭になりました。言い換えるなら、英語圏作品の積極的な導入とテレビの活用です。そのためにハリウッドスターの存在は欠かせません。
また、カンヌ映画祭は世界一豊かな映画祭ですが、一業者一社のスポンサー制度が高稼働し、フランス国立映画・動画センターの助成以外は、ここからの収入がメイン。日本からのスポンサーはNECが数年前まで存在しましたが、現在はゼロ。このスポンサー制度は、サマランチIOC会長の手法を研究したものと思われます。
─印象深い年を教えてください。
1987年です。モーリス・ピアラの『悪魔の陽の下に』のパルムドール授与の時に大ブーイングが起こり、ノーネクタイ姿の彼がコブシを突き上げ「皆さんが私を嫌うなら、私も皆さんが嫌いだ」と挑発し、賞状を手渡すカトリーヌ・ドヌーヴが一生懸命とりなしていました。1979年も印象深いです。F・コッポラ監督の『地獄の黙示録』の前評判がフィーバーと言えるものとなり、コッポラが神に近づく感じでした。誰もパルムドールを疑いませんでしたが、結果はフォルカー・シュレンドルフの『ブリキの太鼓』との同時授賞でした。
似たようなことが日本映画にもありました。1983年に今村昌平の 『楢山節考』と、大島渚の『戦場のメリークリスマス』が出品されました。大島作品は大変な前評判で、大島組はパルムドールを確信し、最終日の昼間のビーチで前祝いのシャンパンが抜かれ、夜の発表を待ちました。しかし結果は意外にも今村作品となったのです。
─これまでのパルムドールに 納得されていますか。
首をひねる結果もありました。具体的には1989年のスティーヴン・ソダーバーグ監督の『セックスと嘘とビデオテープ』です。
─正式招待される日本人監督の顔ぶれが、近年はかなり固まっているようですが。
選考方法に弊害があります。一度カンヌで受賞した監督を中心に選考がされているのです。その一例が河瀨直美監督でしょう。
(今年は新作『あん』がある視点部門のオープニング作品に選出)
若松孝二監督、三池崇史監督にも目を付けましたが、これは面白い方向性だと思います。カンヌ事務局は邦画をきちんと探していない感じはします。日本映画の若手で今一番力があるのは、大阪芸大出身者と呉美保を中心とする40代前後の女性監督。この辺りに目を付けて欲しいものです。邦画の質は決して低いとは思っておりません。
─ 続けて通いたくなるカンヌ映画祭の魅力とは。
カンヌという窓を通し、最新の世界の映画作品に触れられることです。また5月という季節の快適さはリピートの大きな要因です。カンヌ映画祭の現在は、頂点に達しています。その頂点がずっと続いていること自体、驚異的なこと。現在の好調はしばらく続くのでは。作品選考は高水準を保っていますが、もっとアジア作品にも目を向けて欲しいと望んでいます。