本城昂結稀さん(35歳)
「祖父が寿司屋を貸し切るような人だったら、今ごろ寿司を握っていたかもしれない」と話す本城さん。フランス料理との出会いは幼少期、おじいさまが行事ごとに大家族へと振る舞った、兵庫のレストランでの食事だった。
パリでは三ツ星を持つシェフ、パスカル・バルボの元で修行、乞われて日本へ一時帰国した。その後は南仏、スペイン、そしてデンマークへと渡り、厨房でシェフたちの料理哲学を少しでも理解しようとした。そして2013年、自分の店を開く。高い志を持って世界中から集まって来た料理人たちにもまれてきたからか、本城さんは「ボーダレス」という言葉をよく使い、世界にはまだまだすごい原石(料理人)がたくさん隠れている、とも言う。 料理は文化、国の歴史と共に変遷してきたからこそ、フランスの素材を使い、フランスでフレンチを作りたいとも言う。
「最近、お客さまに香りの話をよくされます」 。 本城さんにとって〈香り〉とは、よい素材のこと。この素材の香りを引き立たせるためには何を?という組み立てを、常に頭の中で練っている。お皿にはいろいろ乗せず、ひとつの素材に意識を集中し、料理をする。
恩人であり尊敬するバルボ氏の言葉どおり「毎日1ミリでも成長する」こと、その積み重ねこそが大切だと考えている。話を伺いながら本城さんには自分が 「日本人シェフ」だと
いう意識があまりないのだろうと感じる。独立独歩という言葉がぴったりの本城さん、この先もきっと高く、遠くへと歩んでいくに違いない。(海)
※看板がないのでお見落としのなきよう
火〜土 (火曜の昼は定休)昼のメニューは42€と55€、夜は105€
インタビュー全文:
Q フランスにいらしてどのぐらいですか?
本城 2002年にパリに来て、1ヶ月ぐらい語学学校に通ったあと、料理学校に半年ぐらい行きました。一度、白金の「カンテサンス」(東京にあるミシュランの三つ星レストラン)の立ち上げでシェフの岸田周三さんに請われて2年ほど日本へ帰り、その後スペイン、デンマークへ渡りました。僕は、基本的にフレンチはフランスだと思っていて、ここの食材を使い、こちらに根を張って料理をしていきたいと思ったので、パリで店を開くことにしました。
Q 日本ですでに料理を習っていらしたのですか?
本城 習っていないです。 飲食店でアルバイトをしたことはありますが、本格的に料理を始めたのはこっちに来てからです。
Q なぜ料理に興味を?
本城 祖父がフレンチをすごく好きで、お正月も、紅白のかまぼこを食べるよりもテリーヌが食べたいという人でした。親戚で盆とか正月とかに集まりますよね。そういう時に、フランス料理の店を予約してご飯を食べる習慣がありました。幼心に厨房からいい匂いがしてくるな、と思ったりしていた。何種類ものデザートを乗せたカートがあって、 全部食べたいとわがままを言ってペラペラにお菓子を切ってもらう。それでもすごく楽しいじゃないですか。両親は、僕が大人になったら美味しいものを食べようと努力するように、小さい頃から美味しいものを食べさせるのが教育方針のひとつだったんです。「教育を間違えた」と今になって言っています。僕がいつのまにか作る側になっちゃたから。本当は食べる側で、美味しいものを食べるために仕事をして欲しかったんでしょう。だから間違えた、と。
Q ご出身地の兵庫県、神戸あたりだと、洋食は文化として根付いている。
本城 そうですね。おじいちゃんも連れて行ってくれたのはフレンチでしたし、そのほうが好きだったんでしょう。寿司屋を貸切にするような人だったら、僕は今寿司を握っていたかもしれない。
Q フレンチを選んだのは、その幼少期からの食教育や記憶があったから?
本城 やっぱりあの経験は大きいです。20人近く親族が集り、食卓を囲むと幸せな空気が流れる。そういう和やかな空気が流れるということを小さい頃は深く考えてなくても、いいことだと無意識に感じていたかもしれない。
Q まずは語学、次に料理を学ぶ。言葉はやっぱり必要ですか?
本城 日本でもそうですが、フランスの食文化を理解するには言葉とか、土着の文化とか、根本から理解していくのが大事だと思います。野菜ひとつをとっても、生産者の考えがあって、それを理解して料理をするのとしないのでは違う。背景を大切にして、お客さんにどううまく伝えるか、日々考えています。まあ言ったら僕たち料理人なんて、大した存在じゃないのかもしれないです。食材のお化粧を仕上げるような気持ちで仕事をしています。化粧をしなくても美人な食材はたくさんある。
Qフランスではまず、パスカル・バルボさん(Pascal Barbot。パリ16区「Astrance」のシェフ。ミシュランの三つ星レストラン)の店へ入られた?
本城 彼の店はすごい衝撃でした。ひとつひとつの行動に意味がある、それを常に考えることを学びました。たとえば魚のもち方、魚をなぜここに置くのか、なぜ冷蔵庫のここにしまうのか、なぜ冷蔵庫でも奥と手前で温度が違うのか。魚にはどれだけ水分があり、なぜ手ぬぐいで、あるいはキッチンペーパーで包むのかまでを考え行動する。僕たちはロボットではない、とバルボさんはよく言っていました。教わったことをそのまま実行して美味しい料理を作ることは誰にでもでき、星だってとれると。これは今でも常に心にとめていますね、はい。
Q その時に岸田さん(前出「アストランス」の)も一緒に?
本城 そうです。
Q 岸田さんについて2年日本へ戻り、その後スペインへ?
本城 そのあとは「Petit Nice」 (マルセイユにあるミシュランの三つ星レストラン、シェフはGérald Passédatジェラルド・パセダ氏) へ。本当は、僕はオリヴィエ・ロランジェ(Olivier Roellinger)さんの料理を一度食べた時から、心の底から「この人はすごい」と思って、彼の店ですごく働きたかったんです。ちょうど「カンテサンス」が三ツ星をとった年がミシュランガイド日本版の創刊年で、三ツ星シェフがほぼ全員集まる機会がありました。報道陣をシャットアウトして小さなパーティーが開かれて、僕はそこへこっそり侵入できたので、ロランジェさんに僕はどうしてもあなたの店で働きたい、と話をしたら、彼は「わかった、わかった」「履歴書を送って」というので送ったのですが音沙汰がなくて。こちらに戻って、ロランジェさんが閉店したことを知った。ロランジェさんはうちの店にもはじめの頃に食べにきて下さったんですが、その時のことを覚えているのかいないのか「え ?!」みたいな。
Q 彼は完全にやめてしまったでしょう?今はスパイスだけ?
本城 彼の地元カンカルの「Le Coquillage」という一つ星のお店の監修と「Maison de Bricourt」関連の経営だけで、料理はしていないみたいです。僕はあの人(ロランジェさん)の料理がすごく好きで、話をさせてもらう機会もありました。歴史とともに食文化はある、だからその背景をよく考えながら料理をしなきゃだめだよ、と目と目を付き合わせて言われ、すごく考えさせられました。
Q その後スペインに?
本城 そのあとスペインの「ムガリッツ」(MugaritzシェフはAndoni Luis Adurizアンドーニ・ルイス・アドゥリス氏)へ行きました。僕は、現代の料理は国境を越え、ボーダレスになっていると感じていて、シェフの料理の哲学にすごく興味があったので。言葉も文化も違い、自分がゼロから始められるような感覚もあって、ワンシーズン働かせてもらいました。 全部で50人ぐらいの若い料理人たちが、朝から晩まで休みなく、わーっと一つの料理を集中してやる。若い情熱というか、そういう中で仕事をすることもとても新鮮でした。
Q そのときは一人だけ日本人?
本城 最初の半年以上は、日本人は僕ひとりでした。後半になって何人か来ましたけれど。南米の人もいればスペイン人もいて、みんなそれぞれ、いろんなことに挑戦しながらここまで来ているんだなぁ、と思いながら。勉強になりました。
Q そのあとはフランスへ戻らず直接デンマークへ?
本城 そうです。店をオープンするまでにまだ時間があると思い、デンマークの「ノーマ」(Noma。コペンハーゲンにあるレストラン、René Redzepiレネ・レッゼピ氏がシェフ)がサンペリグリーノのベストレストランの座に輝いていたので、ちょっと見てみたくて 。運よく入り込めたんですが、あそこは、何と言うか…スタッフたちのモチベーションがすごく高くて。今でもやっていると思いますが、毎週土曜日、サービスが終わった後、各ポジション、セクションの人が代表して、試作を作るんです。それをシェフのレネが食べてコメントする。夜中の3時、4時ぐらいまでかかるんですが、それでもその「サタデーナイト・プロジェクト」のために各部門のみんなが残って、試作を作る。4皿、5皿ぐらい。で、みんなで「このお皿はどうだ、こうだ」とコメントをする。 100人近くのスタッフが、それなりのモチベーションをもって来ていて厨房の熱気は凄いなぁ、と思いました。一応三ツ星などいろいろ見ましたが、どのレストランにもないものでした。世界にはまだまだ隠れた原石があるのだなぁ、というか。
フランス、パリ、といえば最先端のように聞こえるかもしれませんが、あらためて外から見て、それにあぐらをかいていたらダメだな、と感じました。ボーダレスに、高い志で勝負している人は世界中にいるので、あぐらをかいていてはあっという間に抜かれてしまう。フランス料理の文化は懐が深いから、こうやって僕らのような他国の人間を受け入れ、僕らが吸収して僕らなりに解釈し洗練させた表現を受け入れる。そこに僕は惹かれます。まだ何もできていないけれどもフランスのために何か貢献できたら、と思います。ただ日本人だから、技術が高くてパリで受け入れられている、というだけではダメで、個々人でもっと志を高くもってやらなくては、と思います。お店の経営にしても僕一人でやっていて、どうしたら料理だけじゃなくサービスも向上させてワインリストも充実できるか。やっぱり自分をもっと高く、成長させなきゃいけない。
Q「まだ店を開けるには時間があるから「ノーマ」へ言った」というのは?
本城 2013年をとりあえず自分の目標にして資金計画面でも動いていました。でも店の準備期間というのも絶対うまくは運ばないんです、フランスですし。その時間を使ってもう少し今の最先端、北欧を見てみたいと思って行ったのです。
Q フランス料理でも、 オランダとか他の国の料理のほうが面白いということはありますか?
本城 料理というのは「ムガリッツ」のアンドーニの料理哲学があり、バルボさんの哲学があり、というように各人の料理哲学があって店がある。それぞれの店のバックグラウンドに興味があるので、ひとまとめに「北欧の料理が面白い」というふうには思わないです。
Q 食べるだけじゃ満足できなくてその後ろを見たい?
本城 うーん、食べて感じるのは大事ですが、深く理解するには厨房に入って、実際に働いてみて初めてそこの空気、ひとつひとつ、なぜこれをしなければならないのか?シェフは何を求めているのか?などが感じ取れる。
Q バルボさんの「ひとつひとつの行為の意味を考えろ」の言葉ですね。
本城 そうですね。 僕は「アストランス」の後、どの厨房でもそのことを考えてきました。日本でフレンチを習ってこっちに来る人、もしくはフランスで料理を学んで北欧とかスペインとかで働かれる方もいると思いますが、 一ヶ月、二ヶ月いただけで「あっちの料理人の技術なんてたいしたことない」と言う人がいるような気がします。でも技術だけじゃないんです。日本人は器用ですから、魚ひとつさばくのも誰よりも、お店のシェフより上手くできるかもしれない。でも店の文化とか、シェフ自身なぜこれをやるのかというエスプリ(精神)を理解せずに、頭ごなしに「あいつら魚もさばけない」と見限ってしまうのは、残念な気がします。
Qノーマにもワンシーズンいたんですか?
本城 ワンシーズンもいませんでした。2012年の春ぐらいに、ぼちぼち…まあ、結局夏からになりましたが、店の準備をしなければ、と思って。こんなに小さい店ですが、厨房もゼロから、どういう風にどんな料理をつくるにはどんな配置に、など考えました。ただ、実際使ってみると不都合は出てきます。なるべく僕とみんなのストレスをなくして、働きやすい環境をつくるのがシェフの仕事だと思いました。
Q 今はひとりで?
本城 経営はもちろんひとり。厨房は今3人です。パティシエと厨房の補助に入ってくださっている方がいます。
Q その方がたは日本人ですか?
本城 今は日本人ですね。最初は…イタリア人だったかな。その後また別の国の人。日本人にこだわってはいませんが、僕が日本人なので受け取る履歴書は日本人が多いですね。
Q ひとつのお店で鍛錬する人と、あちこちを見て歩く人、料理人には二つのタイプがあると聞きましたが、本城さんのようにあちこちを見て歩く人は、新しいお店に何を期待して行くんでしょう?
本城 僕は、一度食べて納得した上で働きに行っていたので、シェフはどういう考えであの料理を作っていたのかな、と想像を膨らませましたし、実際に働いてみて、ああ、こういうことを考えながらやっているのか、という発見がありました。
Q 履歴書を送ってくれる若い人たちもそうですか?
本城 どうですかね? 星付きの店だから自動的に送っているのかもしれないです。履歴書を送ってきた人に「レストランESです」と電話しても「え?誰ですか?」という反応もあります。彼らは僕が日本人シェフだということも知らない。返事が来てから情報を集め始めるレベルだと思います。ただ、先週上がったカナダ人の研修生は、うちを目指して来てくれた。履歴書を持ってドアをノックして研修をしたい、と。僕の料理からどういうことを学びたい、と思ってきてくれた 。すると僕もいろいろと教えてあげたい、と思います。
Q 今は人に教える立場にいる、というのはどのような気持ち?
本城 「教える」とう言葉を使いましたが、別に教えているとは思っていないです。彼らもいろんな店で働いてきているので、逆に僕が教わることが多いかもしれない。意見交換ですね。うちはこう、ということを彼らがどう解釈するかは彼らの自由ですし。
Q 厨房はいつも賑やかな感じ?
本城 いや、淡々としています。それぞれ役割とか仕事が分担されていて、互いを尊重しながらです。ちゃんと仕事をしてくれれば僕はまったく文句は言いません。 あくまで大人と大人、社会人同士の付き合い。これをこう置かなきゃ、こうじゃダメ、みたいな話はしません。仕事に対する不平不満はぜったいあるじゃないですか。コミュニケーションをどんどんととらなきゃ、と思っています。
Q 経営者になることは、変化でしたか?
本城 始めの頃は日本人のパティシエの方がひとり、他はイタリア人、フランス人がいて不思議だな、と思いました。自分が外国人を雇ってお店をやるなんて、かつては想像もしていなかった。まったく別の業種で父が会社を経営していて、最終的な責任はすべて経営者が背負わなきゃならない、といつも話していました。料理人としても、経営者としても成長しなきゃ、と反省の日々です、本当に。
Q ミシュランの星をもらうことは、大切なことですか?
本城 人それぞれだと思います。2014年2月に星をもらって、いろんな人から「生活変わったでしょう?」と言われましたが、今日もマルシェ(市場)へ行って野菜を選んだり、ブルターニュの漁師と話をするなど、火曜日から土曜日の生活リズムは変わらない。営業中はやっぱり料理に集中しますし、日曜と月曜の休みの日は 経営者の頭に切り替えて、今どんな経営状態で、これからどんな風にして…と、会計士さんと会ったり銀行の人と話をする。「バルボシェフの紹介だから」と付き合ってくれるようになった生産者さんたちが、僕が星をもらって「よかったな」と言ってくれるのはすごく嬉しいし、 恩返しができたのはよかったと思います。でも僕自身はぜんぜん変わっていません。
Q なくしたり、もうひとつもらったり、ということには動じない?
本城 うーん、星に関係なくずっと来て下さっているお客さんはとても大切ですが、星を理由に来てくださるお客さんも大事です、星がきっかけで長いおつきあいになるかもしれない。そういうお客さんから星を無くして「がっかり」と言われたら、やっぱり悲しいと思います。お客さんの満足度につながるならば、維持するよう努力するべきだと思います。ミシュランは、料理はもちろん、いいサービス、いいワイン、つまりお店の本質の評価だと信じています。格別二つ、三つ星が欲しいというわけではないですが、向上心は持ち続け、もっと店をよくしなければ、と常日頃思っています。それは従業員みんなで協力していかなければいけないことです。
Q ひとつの指標になる、ということですかね。
本城 まあ、そうだと思います。それがすべてではないですけれども。
Q 星がプレッシャーになってしまうシェフもいると思うのですが?特に三つまで行ってしまうと。
本城 僕はまだまったく頂点を極めていないので、そういう人の気持ちは想像してもわからないですが、一料理人として、ただ大変だろうな、と思います。
Q 尊敬する料理人は?バルボさん、ロランジェさんの話が出ましたけれど。
本城 料理だけではなく、仕事に対する姿勢、指針を与えてくれたのは、パスカル・バルボさんです。ロランジェさんは、僕にとっては憧れです。とにかく、ただただすごいなぁ、という。一つ星をとった時に、ミシュランの発表パーティーで名前を呼ばれて壇に上がって、ロランジェさんにハグされ、ガッチリ握手をした時は本当に嬉しかったです。「よかったな、お前!」と。彼はオープンして一ヶ月ぐらいで来てくれたのかな。ロランジェさんがそこに座って、僕のturbot鰈を食べて「美味かったぞ!」と言ってくれる。「すげえな!」と思いました。でも淡々とやっていかなければならないです、お店というのは。サービスもそうですが、今日100点で明日60点ではダメで、80点、90点の料理をコンスタントに出し続けることはすごく大事です。パスカル・バルボさんの「昨日より今日、今日よりも明日、1ミリでもいいから成長してくれ」じゃないですが、今日の仕事の中にも、見過ごしている発見があるはずで、 同じ料理の中でひとつ改善すればそこが1ミリよくなる。それが1週間で1センチ、そして1年、10年と改善されていく…あれ、なんの話でしたっけ?
Q 尊敬する料理人。
本城 パスカル・バルボさんは本当に尊敬しています。 僕のことをとても心配して下さって店にも何度か来てくださって。「アストランス」から一番お客さんを送ってもらっているのかな。食事が終わったお客さんのテーブルへ、必ず挨拶しに行くのですが、よくよく聞くと「アストランスのクリストフから紹介された」とか「バルボがよろしくって言っていた」とか。わー、すいません!もう頭が上がらないですね。彼の店には必ず厨房から入って「ボンジュール、シェフ!」と挨拶するんです。シェフは「おー、どうだタカ!今何してる?」と。「今ムガリッツで」と言うと「アンドーニは俺の友達だから何かあったら言えよ」と言ってくれる。店を開くと言った時には「シュウゾウ(「カンテサンス」のシェフ、岸田周三さん)も、Passage のサトウ(パリ2区にある二つ星「Passage 53」のシェフ、佐藤伸一さん)も、アドリーヌも「Yam’Tcha」(パリ1区にある一つ星のレストラン、シェフはAdline Grattardアドリーヌ・グラタール氏)を オープンしたし、最後はお前だな、よかった。」と喜んでくれて。
「パトロンは見つかったのか?」と聞かれて「僕は一人でやります」と答えると「嘘つけ、このやろう」と言うから「いや本当です」と真顔で答えたら「本当か!?本当に大丈夫なのか、お前?」と心配してくれる。はじめは、資金面の心配かと思いましたが、オープンしてからそうじゃなかったことに気づきました。30席にも満たない「アストランス」のような店でも、クリストフというメートル ( 給仕やお店をマネージする人物)が経営もみているので、シェフのパスカルさんは料理に集中できる。それでも日々約束が多くて、すごく忙しいんです、パスカルさん。「これだけ忙しいのに、しかも外国人で、独りでやっていくって、本当に大丈夫なのか?」という意味だったんだ、とわかりました。だからオープンすると言ったときに「俺の知っている業者ぜんぶ教えてやる」と紙に書いてくれた。「こいつには俺からの紹介だと言えよ」と。だからそういう業者に電話をすると「パスカルから聞いてる」とか「わかった、何か送ってやるよ」と言ってもらえた。 普通どの店のシェフも、出ていってしまった従業員は好きにやれば、という感じなんです。だから珍しいです、本当にお世話になっていて…。
業者さんにとっても、いいものは本当に少量です。それをいろんな三つ星の店が分け合う状態なので、どこの馬の骨ともしれない奴にはやっぱり配らない。でもパスカルさんが「あいつには送ってやってくれよ」と言うと、業者さんも「わかった 」となる。いや、すごく懐の深い方だな、と思いますね。
Q 自分で仕入れに行ったりも?
本城 マルシェ(市場)などに。今朝はチエボーさんの野菜を仕入れに行きました。なかなか時間がつくれないんですが、直接業者さんにも会いに行きたいです。
Q ワインは?
本城 ワインは今ブルゴーニュがメインなので、一年に最低2回はブルゴーニュへ。
Q やっぱり自分で業者さんに会って?
本城 ドメーヌにも行きたいんですが、なかなか。最近難しいですね、コネを使わなければ。まあ時間とコネが許す限りはバリバリとやっていきたいです。
Q ならばますますパトロンが必要となるかもしれないですね。
本城 パトロンというか…
Q いいパートナー、経営の。
本城 そうですね、経営を丸投げしちゃって「危なくなったら言って」みたいな。丸投げは良くないですが優秀な秘書ぐらいは欲しいな、と思います。でも結局は心配になっちゃうと思うんです。今のところは小さな店なので、なんとかやっています、いろんな人に助けられながら。
Q メニュー、とか今日は何を、ということはどう決めるんですか?
本城 僕は、 一度来店されたお客さんに出したメニューや、何を残されたか、どのワインを召し上がられた、などを記録しています。例えばこの方は前回古いボルドーを召し上がられた、とあればクラシックなものがお好きかなとか、実際に食後に話をして「冬には君のジビエが食べてみたい」と言われたら次回はジビエを出そう、みたいな。予約の段階で「ご来店されたことはありますか?」と聞きます。「ある」とおっしゃる方は履歴を見て、たとえば「ジビエの人」ならジビエを用意する。もちろん時期だったらの話ですが。またワインも、次に勧めたらいいものを、ソムリエと相談する。
Q 細やかですね。
本城 見えない部分での仕事を大事にしたいと思っています。初めてのお客さんも多いですが、常連の方たちには、まあそうですね。さっきの方も常連さんで、ふらっと一人でお昼を食べにいらっしゃるんです。常に僕の新しい料理を食べたいとおっしゃって「明日新しいのできる?」と言われて「頑張ります!」と返事をする、みたいな。たださすがにその日のランチのために朝10時に電話されても「はい、じゃあ魚を釣ってきます!」とは言えませんが。とにかくできるだけ違う料理を出すようにしています。
Q とすると、明日出すお料理はその常連さんのことを考えながら?
本城 はい、もちろん。
Q 他のお客さんも同じお料理を?
本城 いえ、他の方たちはまた別の料理です。いい食材は数が限られるじゃないですか。全部のテーブルに同じ魚を出すというのは、うちの店では無理なんです。 今日はいいcabillaud 鱈が一本、いいturbot鰈が一本、いいsaint-pierre マトウダイが一本入った、と業者から連絡が入ると「じゃあ送って」と頼む。いい鱈は一本のみで、その他の鱈はよくないかもしれないから、お客さん全員に鱈は出せない。でも、いいものだけを送ってもらって、たとえテーブルごとに違う魚でも、今日獲れたいいものだけを出すようにしています。「今日はいいオマール海老が何尾獲れたよ」と言われれば、あるだけ送ってもらい、それを出す。 前日、前々日から「料理ではない仕込み」つまり「組み立て」を行います。だから予約台帳が大事で、毎日、毎サービスごとにチェックしています。
Q それをひとりで行うのは、やっぱり大変ですね。
本城 いや、喫茶店みたいなものです。5、6テーブルしかないので。
Q 基本的に何皿出すんですか?
本城 その日によってメニューが違ったりしますが、お昼のセットメニューで7-8皿。 前菜、主菜、デザートの3品のセットもあります。夜は10-11皿くらいかな。
Q お客さんはお店で平均2-3時間過ごす?
本城 2時間ぐらいで食べ終えられるようにはしています。というのは、女性の集中力が続くのが1時間半から2時間ぐらい、2時間経つとみなさんお化粧直しのために化粧室に行ってしまうんです。で、15分ぐらい帰ってこなかったり。
Q すると出すタイミングが難しい。
本城 はい。男性も集中力が続くのが2時間、2時間半ぐらいかな。「カンテサンス」では13皿だったので、テンポよく出さないと女性は3-4回化粧室へ立つ。これは危険信号です。最後のほうは気もそぞろで 味わう状態ではない。だからなるべく速く出すようにしています。
Q 美味しいものを食べるには気持ちの集中が必要ですか?
本城 気持ちの集中、いい空間づくり、サービスもガストロノミー(美食)を掲げる店の本質だと思うんです。ミシュランじゃないですが、トータルで考えるべきだと思っています。
Q お店のサイトhttp://restaurant-es.com/を開くと« J’aime l’idée de dire beaucoup avec peu de choses »「少しのことで多くを語る、という考えが僕は好きだ」という言葉が目に飛び込んできますが?
本城 店の内装もミニマリストですが、僕はお皿の上にもたくさんのものは乗せない。野菜でも海産物でもひとつの食材に集中してもらいたい。生産者の考えがこうで、こういうものがあって、と雄弁に語ろうとは思いません。「これはどうだ!」と偉ぶるつもりもありません。旨いものをシンプルに楽しんでもらいたい。その中に、少しでもお客さんの心の中にひっかかるものがあればいいなぁと思います。
Q 日本でフランス料理店を出そうと思うことはありますか?
本城 お客さんから「日本に店を出さないんですか?」とか「ニューヨークに店出さないか?」と言われたこともありますが、うーん、という感じです。僕のフィルターを通して、今日の食材から感じることを表現しているので、僕が言ったこと、1を10に完璧に表現してくれる人がいれば可能かもしれませんが、そういう人に出会ったことがない。興味がないというより、できないだろうと思います。
Q デュカスさんとかガニエールさんも、あちらこちらに店を出していますが、バルボさんは一店だけですね。
本城 そうですね。彼は自分が厨房にいられないとお店を閉めますから。僕も同じですかね。
Q 本城さんにとってお料理とは何でしょうか?
本城 また漠然とした質問ですね。何だろう…なぜ料理人になったのか?という質問に戻るかもしれませんが、料理は幸せな時間と空間をつくり、家族や友人など自分の大切な人のためにつくるものだと思うんです。「料理は愛情」と言うと、使い古された陳腐な言葉に聞こえるかもしれませんが。よくも悪くも料理に生かされる部分もあれば、料理に挫折させられる部分もある。その中で何を自分が何を学んで勝ち得ていくのかがすごく大事です。
Q 「食材を使って化粧を仕上げる」について、もう少し話していただけますか?
本城 京都の農家さんを訪ねた時に「うちの野菜はべっぴんさんやからな、薄化粧でたのむでー」と言われて、まあそうだよな、と思ったんです。すごくいい素材を使わせてもらっているので、お客さんにも「君の料理は香りがいい」などとよく言われます。「どうしてこんな香りなの?」と聞かれると「それは素材の香りです」と答えます。スパイスなどをあまり使わないのと、これとこれを組み合わせたらこの香りに、というようなことはしていないので。僕は日本の食材、味噌とか酒、醤油などは一切使わないんですが、日本に行ったことのあるお客さんに「日本のエスプリのようなものを感じる」とも言われます。よく和食は「引き算」、こちらの料理は「足し算」と言われます。僕は、この素材の香りと味を引き立たせるには何を加えよう、みたいな「組み立て」を行っているので「日本のエスプリ」という話が出るのかなとも思います。
Q 本城さんが子供の頃に食べたフランス料理と、今のフランス料理は違いますか?
本城 僕らが小さい頃に食べていたフランス料理は、フランスで修行された世代の方たちが日本に戻って作った料理で、その方たちの料理はもうひとつ昔のフランス料理だったわけです。今フランスでは見られなくなった料理が日本にあった。フランス料理は常に新しい文化、技術などを取り入れながら洗練されていく、懐の深い料理だと思います。だから発展し続ける。素晴らしいことです。
料理評論家のフランソワ・シモンさんに「どの季節が一番得意?」と聞かれて、僕はまだ四年、四季を4度経験していないので答えられない、と言いました。
玉ねぎ、じゃがいも、にんじんなどにしても、ここの土が育てた野菜を使って料理をすることに意味がある気がします。自分はまだ、このフランスでのフランス料理というものを理解し尽くせてはいないと思いますし、店を始めて3年目に入ったばかりです。 何度も季節を巡ってからやっと気づくこともあるのだと思います。食材や生産者から発信されることを、アンテナを張って自分なりに咀嚼して表現したい。
Q 料理というのはあらためて「文化」なんだ、と思います。
本城 そうですよ。本当にそうです。
Restaurant ES
Adresse : 91 rue de Grenelle, 75007 parisTEL : 01.4551.2574
URL : http://restaurant-es.com/