われこそジョレスの後継者!
フランスが掲げる「自由・平等・博愛」の三原則。この三原則にはいつの時代も矛盾がつきまとってきた。自由ばかりを尊重すれば格差が生じて平等がたもたれない。かといって、平等を重視しすぎると、今度は各人が自由に自分の能力を発揮できなくなる。極端な言い方をすれば、ジョレスはこうした理想の矛盾を一身に背負って機関車のごとく突進し、それ故に最後は自らの命まで犠牲にしたドンキホーテのような英雄といえる。後に続く政治家たちは、彼の存在や言動の端々を我田引水し、自分こそ正当な後継者だと名乗ろうとする。ジョレスをどう扱うかということは、時代ごとにフランスが直面してきた問題を端的に映し出す鏡のような役割を果たしているのかもしれない。
フランス人の心に鮮明に残っているイメージが、1981年に史上初の社会党出身の大統領となったミッテランが、就任式当日にパンテオンのジョレスの墓に詣で、真っ赤なバラの花を捧げる姿だった。彼は在任中に、ジョレスの故郷のカストル市に研究センターも併設した記念館を建てたばかりか、死刑廃止などジョレスが理想として掲げていた政策を実行に移す。
社会党出身のオランド現大統領も2012年にジョレスを「理想と現実の統合者」と賞賛し、この「統合者」の立場から、自分は彼の後継者であるとしている。
しかし、社会党などの左派ばかりではなく、右派にも絶大な支持を誇っているのが、この人物の幅広さを象徴している。1917年の暗殺直後、メディアはジョレスが最後まで主張していた反戦主義をうやむやにし、代わりに共和主義者、愛国者としての側面を強調して世論の一致を図った。こうした観点から、第2次大戦中のヴィシー政権の中にも、ジョレス支持者がいた。最近の例では、サルコジ前大統領が内相時代の2007年、トゥールーズで行った演説の中で、自らをジョレスの後継者だと主張した。彼いわく、現在の社会党政策はジョレスの理想からかけ離れている。より多く働いても、より多く稼げない現状は、ジョレスが尊重していた「労働の価値」をないがしろにしていると言う。そして、当時社会党第一書記だったオランドがジョレスの後継者という肩書きを独り占めしていることを批判し、ジョレスはみんなのものだと主張する。
死後百年たってもみんなから愛され続けられるのはかまわないだろうが、こうした形で自分が利用されるのを墓の下のジョレスはどう思っているのだろう。マイクを向けてみたい気もする。