パリのヴィクトル・ユゴー記念館を訪ねてみよう。
パリのマレ地区にある旧ロアン・ゲメネ館内には、ユゴーが家族と16年間暮らしたアパルトマンが残り、1902年から記念館として公開されている。ユゴーとその家族の肖像画や彫刻が飾られる控えの間や「赤のサロン」と呼ばれる客間、ガーンジー島のジュリエット・ドゥルーエ宅の中国風サロンや食堂。ユゴーが晩年を過ごしたパリのアパルトマンの復元を通して、ユゴーの足跡をたどることができる。
当時は「ロワイヤル広場」と呼ばれていたヴォージュ広場に面した建物の2階にユゴーが居を構えたのは1832年のこと。 戯曲『エルナニ』や小説『ノートル・ダム・ド・パリ』の成功により、30歳にしてロマン主義のリーダ格として文壇に君臨していた頃の話だ。「赤のサロン」には、テオフィル・ゴーティエ、アレクサンドル・デュマ、ラマルティーヌなどの文化人たちが集まり熱い議論が繰り広げられた。
この建物の1階は展覧会用のスペースになっていて、定期的に企画展が開かれる。現在、〈L’âme a-t-elle un visage? 魂に顔はあるか〉展が開催中。1869年に出版された小説『笑う男』をテーマに、小説が作家の手を離れて、演劇や映画、さらにBD(マンガ)の世界へと展開されていく様子が丁寧に紹介されている。映画『バットマン』に出てくるジョーカーも、「笑う男」にインスピレーションを得て生まれたとか。