全米オープン、全豪オープン、全仏オープン、 ウィンブルドン選手権というテニスの4大国際大会(グランドスラム)の中でも、一番由緒ある大会といえばウィンブルドン。7月6日、そのウィンブルドンの女子決勝で、マリオン・バルトリ選手(28)が、ドイツのザビーネ・リシキ選手を破って(6-1、6-4)優勝。フランス女子選手ではシュザンヌ・ラングラン、アメリ・モレスモに次ぐ三人目の栄誉だ。「グランドスラムで優勝することは、6歳でテニスを始めた時からの夢でした。それもエースで勝つなんて本当に信じられない。マッチポイントの後は空を飛んでいるような気分でした」と喜びを隠しきれないバルトリだが、勝利後、観客席に駆け上って真っ先に喜びを分かち合ったのは父親だった。
バルトリは、1984年10月、オーヴェルニュ地方のピュイ・アン・ヴレ市生まれ。6歳の彼女にテニスの手ほどきをしたのは、医師だった父親。その父親は、しばらくすると医師を廃業し、テニス選手向けの独特の体力作りを考案し、バルトリのコーチに専念する。サーブをレシーブする時に、一歩前へ出て即攻撃に移るバルトリ流テニスも、父のコーチによるところが大。2001年には、全米オープンのジュニア部門で優勝するなど、早くから頭角を現す。2003年には4大国際大会のすべてに参加。2006年にはニュージーランドのオークランドや全日オープンといった国際大会で優勝。翌年のウィンブルドンでは、世界のトップだったジュスティーヌ ・エナンを退け決勝に進出したが、ビーナス・ウィリアムズに破れて涙をのむ。このあたりから、フランスのベスト女子プレイヤーの座は揺るぎないものになるものの、重なるケガもたたって世界ランキングは10位前後を行き来する。
2013年前半も、全豪オープンでは3回戦で敗退するなどふるわなかった。「自分のテニスができなくて、こんなふうに破れるなんて、大いに失望」。そしてウィンブルドンが始まる前に、22年間コーチしてくれた父親と、スポーツ的に別れる決心をする。「この変化が彼女の気持を楽にした。他の人たちのアドバイスにも耳を傾けることができるようになったし、それが彼女の望んでいたことだったんだと思う」と言うのは、フランス女子チームのコーチ。父親自身は「父親とコーチという二役を立派に演じたとは思うが、なんと難しかったことか! 彼女の喜びで輝いている姿を見る と、私たち二人でやり遂げたことが誇りです」と語る。
小柄でがっしりとした体つき、美人とはいえない顔立ちのバルトリは、ロシアのマリア・シャラポワのように広告スポンサーはつかないが、これからも実力だけを武器にがんばってほしい。(真)