2012年春、大統領選挙運動の演説で現オランド大統領は「我が国には人種raceは存在しない。フランス法からこの言葉を排除する」と公約し「国民の多種性こそフランスのアイデンティティ」と説き、詩人エメ・セゼールの言葉「フランスは世界の息吹きを吸い込む多孔質の国」を引用した。
5 月16日、フランス法から “race” という言葉を排除する法案が国民議会で成立し(例race→ d’un critère raciste/pour des raisons racistes)、上下両院会議での通過待ち。ルモンド紙(6/29)で反人種・ユダヤ人差別国際連盟ヤクボヴィッチ会長は「人種という言葉は何ももたらさない、悪をもたらすのみ」と歓迎。ヌジアエ北米史教授は「この言葉を排除してもラシズムはなくならない。人種差別と闘うために憲法に明文化したのに」と人種という言葉を排除することに反対だ。
「分類学の父」といわれるスウェーデン人生物・植物学者カール・フォン・リンネ(1707-78)が、白・黒・黄・赤の皮膚の色でヒトを4種類に分類した。ダーウィンは『種の起源』(1859年出版)で自然選択により種が分岐すると説いた。フランスはフランス文明とキリスト教による植民地の啓蒙化という大義名分で原住民の奴隷制を生んだ。さらに1940-45年ヴィシー政府がユダヤ人迫害の「人種」差別を施行した。過去の植民地主義とナチズムが植えつけた「人種」観は国民の意識から消える前に、その言葉自身がタブー視されている。
1971年7月1日、世界でも稀な「対人種差別法」が成立し、人種差別的言論から中傷・暴力・挑発・煽動、最近はネットでの人種差別的ブログまで軽犯罪(懲役3年+罰金4万5千ユーロ)となり、年間約4500件にのぼる。しかし日常的人種差別は、皮膚の色や出身国により就職や住居探しにも現れる。7月3日、13人の有色(黒色か褐色)市民が「皮膚の色を理由に警官の厳しい取り調べを受けた」として国家を相手取って提訴した。弁護士は各原告への損害賠償金として1万ユーロを要求した(判決は10 月以降)。
レヴィ=ストロースが「人種と歴史」(1951)の中で「文化が身体的差異を作りだす」として人種という概念を社会人類学から排除した。 生物学者ベルトラン・ジョルダンも『人種は存在しない』(林昌宏訳)で「われわれはみな、クロマニョンの子ども」と遺伝形質の99.9%は同質と定義した。
欧州の中央に位置するフランスには、19世紀初期ドイツやポーランドからの芸術家や知識人、19世紀末ロシアのユダヤ人迫害ポグロムからの亡命者、第1次大戦から1936年人民戦線にかけて東欧諸国からの移民労働者約300万人、1936-39年スペイン戦争中、約50万人の避難民、旧植民地アルジェリアや旧仏領マグレブ諸国からの移住者、70年代ベトナムやタイからのボートピープル、90年代以降アフリカ内戦国からの亡命者まで含めると、生粋のフランス人と呼ばれる国民は25%弱。極右人民戦線党首マリーヌ・ルペンなどはフランス人種race françaiseをFrançais de soucheと言い換えている。しかしEU市民はシェンゲン協定圏26カ国を自由に行き来でき、異民族間のメティサージュ(混血)も進む中、「人種」という言葉の意味がなくなっているのは確かだ。(君)