フランスでは幸せな環境で制作ができた。

いまは「生命」をテーマに、丸をモチーフに制作している
いまは「生命」をテーマに、丸をモチーフに制作している

◎福本倫(アーティスト、東京都) 

 福本さんは、高校生の頃から芸大志望だったが、合格せず、デザインの専門学校に進んだ。その後はアパレルのデザイン会社でデザイナーをしていたが、「やはり絵描きになりたい」と思い、とくに理由はなかったが、パリに行こうと思った。1989年、まだ20代前半だった。

 英語も苦手だったが、東京で習い始めたフランス語も、初級クラスでもまわりから取り残される感じが歯がゆく、とりあえず行ってしまおうと、数ヵ月後に日本を出発。まずは、美術学校グランド・ショミエールに登録した。お金があまりなかったので、フランス語の勉強には、パリ市が開いていた夜のフランス語講座に通った。

 パリに慣れて、フランス語が上達してきたら、ボザールに行くことも考えていたが、入学条件の変更で、受験資格がなかった。私立の学校は年間の授業料が高くて無理だった。そこで見つけたのが、銅版画を専門にするAtelier Contrepointだった。当時は版画に興味があったわけではないが、見学したときの楽しそうな雰囲気が気にいって、行くことにした。

 「経済的な余裕はあまりなかったけど、楽しかった」というパリ生活。午前中はベビーシッターのアルバイト、午後からアトリエ、夜はまた別のベビーシッターやレストランでのアルバイトの毎日。休みには列車で何時間もかけてイタリアやスペインに旅行に出かけることもあった。最初は技術を学ぶのに時間がかかった銅版画も、自分の作品が思うようにでき始めると、面白くなった。バスティーユの画廊などで個展をしたり、グループ展をするようになり、絵も売れ始め、作家として生活していた。最初は1、2年の予定だったが、気がつくと10年以上が経っていた。なんとなく、このままずっとパリにいると思っていた。

 ところがある時、日本に帰るという選択肢もあるんだと気付くことになる。日本でも個展をするようになっていたが、基盤はなかった。それでも、いろいろと考えたすえに、日本に戻ることに決めた。

 13年も住んだパリから引き揚げる荷物は莫大な量だった。大半が版画の作品で、失敗作は捨てたが、それでもすごい量だった。パリで愛用していた発色が気に入っている銅版画用のインクも大量に買い込んだ。船便用の一番大きな箱で部屋が埋まった。

 フランスではアーティストは大事にされていると感じていたが、日本では、他の作家と繋がりがないこともあって、戻ったばかりの頃は、自分の居場所がないように感じていた。それから10年。やっと基盤ができたと感じる。

 13年のフランス滞在は充分に満喫したと思っている。「幸せに制作できたのが一番、本当に楽しかった」。だから、しばらくはまたフランスに行きたいとは思わず、以来、フランスには行っていない。しかし最近は、買い込んだインクも減ってきたし、フランスとは全く関係ないところで知り合った夫を連れて、久しぶりに行ってもいいかと思っている。(樫)

※6月18日~30日、佐賀市・画廊  憩(やすら)ひで個展。

Heureuse dans l’environnement de la création artistique en France  FUKUMOTO Rin, Artiste, Tokyo

Lycéenne, Rin rêvait déjà de devenir artiste, mais n’ayant pas pu être admise à l’école des beaux-arts, elle s’était contentée de travailler comme styliste dans une société de mode. Un beau jour, elle se décide à réaliser son rêve, et quitte le Japon pour partir à Paris. 

« Si ma vie n’y était pas très facile, elle était, toutefois, bien remplie », dit-elle. Sa journée commençait par quelques heures de babysitting, se poursuivait, l’après-midi, à la création dans un atelier, puis le soir elle faisait de nouveau du babysitting ou un petit boulot dans un restaurant. Petit à petit, elle parvient, en groupe ou en solo, à exposer son travail, et même à vendre ses réalisations. Si elle prévoyait, au début, de ne rester qu’un ou deux ans, elle n’a pas vu passer ses dix années de séjour à Paris et pensait y vivre ainsi pour toujours.

Puis, un jour, l’idée lui vient que de retourner au Japon constituerait un choix de vie parmi d’autres. C’est ainsi, après mûres réflexions, qu’elle rentre au Japon.

Satisfaite de son long séjour de 13 ans en France, elle n’éprouve  aucun regret : « J’étais très heureuse et j’ai pu apprécier l’environnement de la création artistique en France ».


 

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