書店のドアに「小川洋子講演会」のポスターが、初夏を思わせる南仏の日差しを浴びていた。闘牛や古代遺跡で有名なアルルは人口5万の小さな町だが、Actes sudやPhilippe Piquierという大きな出版社を抱える本の町でもある。著書の刊行時などに作家が訪れたり、外国文学との結びつきは深い。
名所のひとつ、ゴッホがいたかつての病院は現在、CITL(国際文芸翻訳学院)として使われている。ここでは現役のプロたちが寝泊りし訳業にいそしむかたわら、宿舎と奨学金を提供して次世代を育成する合宿(アトリエ)も開いている。すでに中国語やオランダ語、ロシア語などの翻訳家を志す若者がチューターの指導を受けながら10週間の共同生活を送り、巣立っていった。マンガの世界にたとえるなら「翻訳家のトキワ荘」といったところか?
今年の4~6月の対象は日本語。20〜30代のフランス人3名、日本人3名が各自1冊ずつ本を選び母国語に翻訳することになった。推理小説、SF、クレオールの詩、人文書など分野も様々だ。毎日、円卓を囲んで一人が訳した文章を分析していく。意味は正しいか、読みやすい文か。大学の文学部の演習にも似ているが、大きく異なるのは出版物として売ることを前提とした「実弾戦」だということだ。だから一語ですらゆるがせにできない。技術的な指導に加えて、チューターから現場の生の話を聞けるのも面白い。「翻訳家は寛容性が命」というのは、日本の現代詩の翻訳の第一人者ドミニク= パルメさん。作家・詩人でもある関口涼子さんからは「読書は先行投資。たくさん読むこと」とか「出版社のアポにはきちんとした格好で」などと端的なアドバイスももらった。
脳ミソに汗かいて一日中コトバを相手に格闘すれば、やはり夜は部活の練習後のように宿舎の食堂で飲み会となる。ときにチューターも加わって自分たちの失敗談なども開陳してくれる。酔いが回るとフランス人が日本語で話し、日本人がフランス語で返すなどという珍妙な光景もみられる。誰かがふざけて演歌を流すと、異口同音にぼやく「カラオケにでも行きたいねぇ」
アトリエ6人組は10週間の合宿後に一路北上し、6月14日にパリの日本文化会館で一般公開の朗読会に挑むことになっている。(康)
CITL(国際文芸翻訳学院)http://www.atlas-citl.org/