トマト、セロリ、アボカド、ナス、オレンジ…拾っていると、 幸せな収穫気分も味わえる。
「みんなで分け合えよ!」と露店のお兄さんから声がかかる。市場の片付けが始まる13時を過ぎると、こんなヤジとともに都会の収穫が始まる。収穫は、広大な農地で行われるだけではないのだ。どれだけの、まだ使える物や食べられる物が、見かけが悪いなどというだけで、消費社会の名のもとで捨てられていることだろう。もちろん経済という機能を考慮すると、価値なきものとしての定めを受ける物も必要なのだろう。しかし背に腹はかえられないと、市場が終わった後に野菜や果物を拾わなければならない状況を生き抜いている人々がいる。私だって学生の頃は都会の「落ち穂拾い」(9頁参照)になって収穫し、トマトソース、ラタトゥイユ、カブや大根の葉の菜飯を作ってピンチを切り抜いたことか…。
拾いにくる人たちは圧倒的に女性。家族の食卓を担う彼女たちは、丁寧に一つ一つサヤインゲンを、カリフラワーの葉を拾う。茶色くなったセロリの葉をちぎり、オレンジやアボカドの熟しすぎた部分をナイフで切りとる。この作業をきちんとしないとむだな重量がかさみ、持参した袋はすぐに重たくなってしまう。社会のおこぼれにあずかって、と眉をしかめる人がいるかもしれないが、これだって、れっきとした労働です。土を耕し、種をまくといった作業はしていないけれど、時間を費やし、腰を曲げて日々の糧を自分で拾いに行くことは、スーパーマーケットに出かけてきれいに並んでいる野菜や果物を買うことと等価といってもいい。農家の人たちのところにまでお金が届かないのは悪いとは思うけれど、その農家の人たちの汗の結晶であり、太陽や水といった自然の恵みでもある野菜と果物を、捨てるのではなく、最後まで食べ尽くすことに胸を張っていい。
さあ、丈夫なビニール袋何枚かと小型ナイフを持参して、実際に拾いに行ってみましょう。最初はやはり周りの目が気になるけれど、八百屋のお兄さんが優しいまなざしを注いでくれていることに気づくでしょう。もしあなたが笑顔で拾っていようものなら、「あさってはここに取りに来な」なんて、トラックを指差してくれる。そして、「分け合えよ!」のようなヤジを投げかけられることにならないように、木箱に同種の野菜がかなりあったりする場合は、皆で分け合おうという心がけを忘れないようにしたい。全部持ち帰ったところで、どうせ家で腐らせてしまうことになるのだから。この約15分間の収穫、清掃車が来たところで終了。時間が限られているのだから、目を凝らして採るか採らないかの、迅速な判断が必要となる。一度始めてしまうと、都会のフィールドワークともいえるこの作業に、ある種の中毒性ともいえる幸せな気分を感じることになるでしょう。状態のよい野菜を見つけたときの喜び、同じ「落ち穂拾い」の人たちとのコミュニケーション。生きている、という実感大です。
ところで、この収穫、あくまで野菜・果物に限ります。それも、もちろん腐った部分はきちんと取り除くこと、調理する前に丁寧に水洗いすること。そして、間違っても肉や魚には手を出さないで下さい! 食中毒必至です。(麻)
きょうは大好きなセロリがたくさん見つかって、思わずニッコリ。
脇では、おばあさんも 腰を曲げてインゲン拾い。 ごくろうさま!