ロンドン五輪、男子50メートル自由形で金メダルに輝いたフロラン・マノドゥ。アメリカのカレン・ジョーンズ、世界記録をもつブラジルのセザロ・シエロフィーリョを抑えて、21秒34でトップの座に。彼の快挙は、驚きをもって、フランス中を沸かせた。姉のロールと抱き合うショットは人々の記憶に残るだろう。
198センチ、99キロ。右脇腹に刺青が彫られた、肉感美を誇る21歳。「勝つために泳ぐswim to win」がモットーで、水泳ひと筋の人生を歩んできた。
1990年11月12日、リヨン近郊ヴィルールバンヌ、フランス人の父と、オランダ人の母の間に生まれる。3人兄弟の末っ子。兄ニコラは水泳コーチ、姉はアテネ五輪400メートル自由形金メダリストのロール・マノドゥ。
姉は16歳にして、フランス最強の女子競泳選手となる。グラビアを飾ったり、TVに出演したり、水泳界の大スターだった。その後、恋愛沙汰や移籍問題のいざこざで、「お騒がせ選手」のイメージが定着。2009年、娘の出産を機に、22歳の若さで引退。が、また表舞台に立ちたくなった彼女は、ロンドン五輪でカムバックをはかる。フランス国民の期待も大きかった。
一方、フロランは来る日も来る日も練習に明け暮れ、晴れの舞台を夢見た。当時、フランスでは、ロールの夫で世界記録をもつフレデリック・ブスケが出場すると予想されていた。弟は無名の存在。3月、ダンケルクでの最終戦でフロランが勝った時、どよめきが起こる。義兄を蹴落としてのオリンピック出場となったのだ。
今年、フレデリック・ブスケは31歳。最後のチャンスを逃し、ほぞを噛(か)む思いがしたのだろう。フランスの自宅で「もうくたばりたい!」と自暴自棄に。義弟の快挙を喜べず、妻ロールを泣かせたという。後に謝罪。
マノドゥ家には、もう一つの確執がある。フロランは3歳で、兄ニコラの手ほどきにより水泳をスタート。「もしニコラがいなければ、13歳か14歳で水泳をやめていただろう。友人の影響を受けていたはずだから」と振り返る。水泳以外では、バイクや車が好きな、ごく普通の青年だ。
フロランが10歳の時、14歳だった姉は、練習拠点をマルセイユに移す。その後、フロランも、姉が在籍したマルセイユ・スイミング・クラブに移籍。兄のニコラは、裏切られた思いがした。
ロンドン五輪で、ロールは100mと200m背泳ぎに出場したが、共に予選落ち。オリンピック初出場の弟の快挙に、真っ先に駆け寄った。そして涙を流しながら発した姉の第一声。「誇りに思うわ。絶対、あなたが勝つと信じていたのよ!」
フロランの刺青にある三つの点は、ニコラ、ロール、そして彼を表す。3人の絆(きずな)の証である。(咲)