フランソワ・トリュフォー、幼い頃は家出を繰り返す問題児。16歳で批評家のアンドレ・バザンと出会う。父と慕うバザンの庇護(ひご)のもと、まっすぐに育んだ映画愛は、やがてダムが決壊するように大波を引き起こす。ヌーヴェル・ヴァーグという名の映画の革命だ。27歳で撮った自伝的作品『大人は判ってくれない』は新時代を告げる記念碑に。その後も子供と女性への讃歌をフィルムに刻み続け、52歳で人生を駆け抜けた。生きていたら今年で80歳、新たな女神を追いかけ、デジタル映像と格闘し、映画界に愛ある皮肉の一つもこぼしたろうか?
いや、野暮な「もしも」はやめておこう。芸術は長く人生は短し。トリュフォー作品は、輝きもそのままに残されている。映画はいつも現在進行形としてあるのだ。トリュフォー好きを自認するオヴニースタッフが、一本ずつ最愛のトリュフォー映画を選びとり、言葉による愛の花束を捧げてみた。(瑞)
文:林瑞絵、吉武美知子、佐藤真、木村ひろみ、さやかアトラン、エマニュエル・アトラン、クロード・ルブラン、尾上真奈美
フランソワ・トリュフォーのフィルモグラフィー
Une visite/ある訪問(短編)1954
Les Mistons/あこがれ(短編)1957
Une histoire d’eau/水の話(短編。ゴダールとの共作)1958
Les Quatre cents coups/大人は判ってくれない 1959
Tirez sur le pianiste/ピアニストを撃て 1960
Jules et Jim/突然炎のごとく 1962
L’Amour à vingt ans : Antoine et colette/
アントワーヌとコレット:二十歳の恋 (中編) 1962
La Peau douce/柔らかい肌 1964
Fahrenheit 451/華氏451 1966
La Mariée était en noir/黒衣の花嫁 1967
Baisers volés/夜霧の恋人たち 1968
La Sirène du Mississipi/暗くなるまでこの恋を 1969
L’Enfant sauvage/野性の少年 1970
Domicile conjugal/家庭 1970
Les Deux anglaises et le Continent/恋のエチュード 1971
Une belle fille comme moi/私のように美しい娘 1972
La Nuit américaine/アメリカの夜 1973
L’Histoire d’Adèle H./アデルの恋の物語 1975
L’Argent de poche/トリュフォーの思春期 1976
L’Homme qui aimait les femmes/恋愛日記 1977
La Chambre verte/緑色の部屋 1978
L’Amour en fuite/逃げ去る恋 1979
Le Dernier métro/終電車 1980
La Femme d’à côté/隣の女 1981
Vivement dimanche!/日曜日が待ち遠しい! 1983
フランソワ・トリュフォーについての本
トリュフォーについての一冊といえば、なんと言っても山田宏一著『トリュフォー ある映画的人生』。1960年代初めにフランスに滞在し、その間カイエ・デュ・シネマの同人となって、ゴダール、リヴェット、とりわけフランソワ・トリュフォーらと親しくつき合い、ヌーヴェル・ヴァーグの若い監督たちの熱気を内側から生きた山田宏一。彼にしか書けない、トリュフォー本だ。『大人は判ってくれない』までの若き日のトリュフォー像が、豊富な逸話を交えながら生き生きと浮かび上がる。第1章で描写されている、1984年10月、モンマルトル墓地でのトリュフォーの埋葬シーンは、名画のラストのように悲しい。
また山田宏一と蓮實重彦共訳の『定本 映画術ヒッチコック・トリュフォー』も、読み始めたらとまらない。(真)
「(撮影の)仕事をしている時、私は魅惑的な誘惑者になります。世の中で一番すてきなこの仕事は、一つの「ラブストーリー」が始まる時に、私を感情的に有利な立場に置いてくれるのです。というのもふつう、私の前には、心を高ぶらせ、怖がっていて、従わざるをえない、そして私にすべてを託し、身を投げ出す用意のできている若い女性がいるのです。そこで起こることといったら、いつも同じことです」
フランソワ・トリュフォーは、クロード・ジャッド、カトリーヌ・ドヌーヴ、ファニー・アルダンなど主演女優と結婚したり、恋人関係になっている。そのトリュフォーが、『恋のエチュード』撮影中にリリアーヌ・ドレフュスに宛てた手紙から。