オランド大統領は、5月15日、1997年以来国民議会社会党代表を務めていたジャン=マルク・エロー(62)を首相に指名した。エロー首相は7月3日、国民議会で1時間半を超える施政方針演説。その中で「結婚し養子を迎える権利は、すべてのカップルに差別なく付与される」と、2013年の上半期に同性間の結婚を合法化することを確約した。その理由として「私たちの社会は進歩する。生き方、考え方が変わっていく。新たな要求がはっきりと形になってくる」と続けたのが印象に残った。この言葉は、エロー首相の生き方そのものに通じているところがある。
ジャン=マルク・エローは、1950年1月25日、メーヌ・エ・ロワール県にあるモーレヴリエという村で生まれる。父は農業従事者、母は縫い子という裕福とは遠い家庭だった。小学校はカトリック系の私立に通い、教会でオルガンも弾いていたという。そういうキリスト教の影響は、彼の、落ち着いた声、温厚な表情、両手を組み合わせる仕草、銀髪をきちんと分けた髪型などに残っているような気がする。中学、高校はショレ市の公立コルベール校。その後ナント大学に通って、1971年にドイツ語の学士号を得る。同年9月に、同じ村の出身で共にMRJC(キリスト教青年農村部運動)で活動していたブリジット・テリアンと結婚。MRJCはマルクス主義にも近づいた運動で、ここでエローは政治活動のノウハウを学び始めたといえる。
1972年にCAPES(中等教育教員資格)を取得し、翌年、ナントの西郊外サンエルブラン市にある中学校のドイツ語教師になる。1974年と77年に、二人の娘が誕生。バカンスになると、当時の多くの若者同様に、フォルクスワーゲンのバンに乗ってフランス各地やドイツ、東欧を訪れる。社会党内で次第に重要な位置につくようになり、1977年には、27歳という若さでサンエルブラン市の市長に選ばれる。その後も選挙では負けを知らず、1986年には国民議会議員に当選。そして1989年にはナント市長に。
前市長の尽力もあって、ナント市は、トラムウェイ路線の設置、国際会議センターの建設、パリ=ナント間TGV開通などで勢いに乗っていたが、エロー市長も中心街を大幅に整備したり、バス路線を拡充するなど暮らしやすい町を目指す。2005年に日本にまで波及した一日だけのクラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」や「三大陸映画祭」も彼の音頭取り。彼が市長に就任してから12年後にリベラシオン紙が行った「フランス11大都市の市民満足度」という世論調査によると、ナント市が96%でトップという結果が出ている。ナント市といえば奴隷貿易の港として栄えたことでも有名だが、その事実をしっかり受け止めて忘れないために、とエローは〈奴隷制廃止記念館〉の設立にも積極的に乗り出す。今年の3月、同記念館のオープニングセレモニーで「様々な形で現れる奴隷制と闘うことは、私たちのできる範囲で一切の人種差別と闘うことである。そしてまた、他よりも優れた文明があるという吐き気を催させるような考え方と闘うことである」と、力強く演説した。こうした彼の考え方を、首相としてどのように実現していくのか、見守りたい。(真)