1976年かな、パリに住み始めたボクは、たまたま読んだ大杉栄の『日本脱出記』にとっつかまってしまった。そこには、無政府主義による革命を固く信じながらも、奔放で、自由な精神を第一とし、人生、女、子供をこよなく愛した男の息吹きがある。
1922年11月20日、東京にいる大杉に、フランス無政府主義同盟リーダーのアンドレ・コロメルから、ベルリンで開催予定の国際無政府主義大会への招待状が届く。その二十日後に大杉は、ひとまずパリを目指し乗船。パリ着は1923年2月13日。ところが大会は延期を重ね、パリ滞在が長引いていく。
「通りの真ん中の広い歩道が、道いっぱいに汚らしいテントの小舎がけがあって、(…)野蛮人みたいな顔をした人間がうじゃうじゃと通っている。市場なのだ。(…)みな朝の買いものらしく、大きな袋にキャベツだのジャガ芋だの大きなパンの棒だのを入れて歩いている」と無政府主義の事務所があったベルヴィル街に出かけた時の印象を語る。「野蛮人」はともかく、今だってベルヴィルはこのままだ。自由恋愛を唱えて実践し、妻、神近市子、伊藤野枝を愛した大杉は、ひと言でいえば女好きなのだ。パリでも女たちを追っかけまわしていた、と言う。中でも踊り子のドリイ。メーデー当日、「今晩こそはドリイと思っていると、その日の午後、こんどはとんでもない警察につかまってしまった」。独房の窓の外はマロニエの若葉。ベッドに横になって、「すき通るような新緑をながめている」大杉。「葉巻の灰を落としながら、ふと薄紫色のけむりにこもっている室の中に目を移すと、そこにドリイの踊り姿が現れてくる」。こんなことを素直に書いてしまう革命家はあまりいない。素敵だなあと思う。
警察に逮捕されたのは、メーデーの日にパリ郊外サンドニ市で開催された集会に出て、コロメルの後で演説したからだ。大杉の釈放を要求する労働者たちに、警察は警棒をふるって襲いかかる。大杉はパリ14区ラ・サンテ監獄に拘留される。そこで最愛の娘、魔子へ電文を書く。「(…)おみやげどっさり、うんとこしょ お菓子におベベにキスにキス 踊って待てよ 待てよ、魔子、魔子」。大杉はこの歌のような文句を一日中大きな声で歌う。「そうして歌っていると涙がほろほろと出てきた。声が慄えて、とめどもなく涙が出てきた」
この愛が大杉を殺したようだ。国外追放が決まって、列車でマルセイユに着くが、全然監視もない自由の身。そこでもう少しヨーロッパに残ろうかとも考えている矢先に、家からの手紙が来て帰国を決心する。日本へ向かう船は6月3日の朝早くいかりを上げる。それから3カ月後の9月1日、関東大震災。9月16日、そのどさくさの中、大杉栄(38歳)は、伊藤野枝(28歳)、大杉のおいの橘宗一(6歳)とともに、甘粕正彦が率いる憲兵隊に虐殺される。(真)