デンマークが生んだ現代映画界の異端児(?)ラース・フォン・トリアーは、お騒がせ男だ。かつては「飛行機に乗るのが恐い」と言ってカンヌに現れなかったり、車でやっとたどり着いたり。最近は普通に来るようになったが、一昨年の『アンチクライスト』ではハードコア場面で物議を醸し、今年は「ナチスを理解できる」と発言して映画祭からたたき出されたりと常に彼が何かする度に騒々しいことになる。そういう人っているよね。本人は自分を「うつ病」と言い、今年のカンヌの出品作も『メランコリア(鬱)』というタイトル。
そして、このメランコリアは、じきに我らが地球と激突しそうな勢いで迫って来ている惑星の名前でもある。一方に、姉妹の物語がある。映画の前半は妹の結婚式。取り仕切るのは現実派の姉クレール(シャルロット・ゲンズブール)。妹ジュスティーヌ(キルステン・ダンスト)は、この儀式の中で一生懸命に花嫁を演じようとしているが長続きしない。監督は、空疎な慣例をどうしても受け入れられないジュスティーヌに自身を重ねているようだ。クレールの取り繕うとする努力も虚しく結婚は破綻する。後半は、瀟洒(しょうしゃ)なお城で、世間と隔絶して暮らすクレールと夫と息子、そこに身を寄せているジュスティーヌの生活。夫はメランコリアを天体望遠鏡で観察しながら「衝突はあり得ない」と妻を安心させるが、メランコリアは容赦なく接近して来る…。パニックするクレール、クールに事態を受け止めるジュスティーヌ…。この世の終わりに関する一つの見解、もしくはトリアーの世界観。ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』に包まれた耽美な映像が圧倒的。世界の終焉がこんなに美しいなら、それも良し? ジュスティーヌは動物的な反応をしない。鬱ゆえの感性は崇高なのか? トリアーは傲慢だけど作品がユニークだから許せる。(吉)