2000年2月、ロワール・アトランティック県の小さな町。それまでぽちゃっとしてやんちゃだった14歳の中学生エミリーが、食べることを拒み、教室で気絶したり、家出をするようになる。何が起こったのか。エミリーは教師の一人に、下校時に14歳の生徒に強姦(ごうかん)されそうになったと打ち明ける。教師は両親に連絡をとるが、父は軍人で家にいないし、母は、「敏感すぎるだけ」と答える。エミリーの健康と精神状態はどんどん悪化。同年11月25日、エミリーは教師二人に教室に呼ばれる。「誰かに性的な行為をされたのか?」という問いに、エミリーは「家族の友人で独身者の酒飲み」と答える。このことを知らされた両親は「他に思い当たる人がいなかったので、ロイックか、と尋ねた」と言う。彼女の答えは「ウイ」。翌日、農家の雇用人、ロイック・セシェールが逮捕される。
セシェールは無罪を主張するが、彼を犯人と思い込んだ憲兵隊と予審判事の性急で一方的な取り調べが続く。エミリーの日記には、登校を極度に嫌っていることが繰り返し書かれ、またスクールバスから降りた時に「彼にたたかれた。きっと私が(強姦されそうになった)と言ったことを知っているに違いない)」といった記述もあり、同じ中学校に通っている生徒に暴行を受けた可能性が大。さらにエミリーは「強姦された」と言うが、まだ処女であることなどの明白な事実が無視される。2003年12月、ナントの重罪院でセシェールに懲役16年の刑。2004年5月、レンヌの控訴審で有罪が確定。ところが2008年3月、エミリーはすべてがうそであった、という手紙を司法当局に送る。そして異例の再審が認められることになる。
パリ再審院での公判は6月20日に始まる。いまだに精神病院で治療を続けているエミリーが初めて証言台に立つ。記者や傍聴人なしの証言の様子を、セシェール被告の弁護士デュポン=モレッティは語る。「私は、彼女がとても勇気があること、ロイック・セシェールが彼女のことを少しも恨んでいないことを説明しました。彼女は、学校の男子生徒に屈辱的なことをされたこと、両親にロイック・セシェールの名前を出され、肯定してしまったこと,そしてもう後戻りができなかったこと…を語りました。陪審員たちは彼女を見つめながら涙を抑えることができず…心を揺さぶられるような瞬間でした。ロイック・セシェールは頭を両手で抱えながら泣いていました」。検事は、約11年間(うち7年は服役)の屈辱にもかかわらず、原告に少しも憎しみを抱いていない被告を讃えつつ、無罪を要求。6月24日、裁判長は「あなたへの容疑は皆無であるという確信を得ました。この無罪判決は、疑わしきは罰せずの無罪ではありません。早く新しい人生を始められるように」と判決。傍聴席は拍手で埋まった。(真)