1919年10月、モンマルトルの骨とう商ジョゼフ=エミル・ブルデは、ドゥルオー競売場で、ミイラ化した頭(写真)を3フランで入手する。
ブルデは、その頭が1610年に暗殺されたアンリ4世のものであるという確信を持つ。鼻に、肖像画で見られるようなホクロがある。1594年に暗殺されそ
うになった時、上唇に受けた傷がある。頭の形が肖像画や彫刻のアンリ4世と重なる…。フランス革命直後の1793年にサンドニ市の大聖堂に葬られている歴
代の王の棺がこじ開けられ、民衆の前で遺がいの首が切り落とされた際に、アンリ4世の頭が盗まれた、とブルデは推論。しかし、1947年、この骨とう商は
亡くなり、この頭のことは忘れ去られる。
アンリ4世没後400年を前にした2008年、ジャーナリストのピエール・ブレとステファン・ガベはア
ンリ4世についてのドキュメンタリー映画を撮り始め、アカデミー・フランセーズ会員でアンリ4世の専門家ジャン=ピエール・バブロンに会う。バブロンは、
骨とう商ブルデの仮説は理にかなっていたと語る。しかし肝心の頭はどこに?
1955年の新聞記事で、ブルデの妹がベッドの下にこの頭を保存していたことはわかったが、それ以降は皆目見当がつかない。そんな時、歴史家バブロンは、
数年前にアンリ4世の頭について問い合わせてきた手紙のことを思い出す。当初、手紙の書き手ジャック・ベランジェは頭を所有していることを否定するが、
ジャーナリストたちは、その頭を科学鑑定にかけてアンリ4世のものか確かめたいだけだ、と説得。そして2010年1月22日、ベランジェの家の屋根裏部屋
でその頭と対面。ベランジェは、1955年に骨とう商の妹からその頭を5000フランで買ったことを認め、それがアンリ4世のものだと判明した際にはアン
リ4世の末裔の手に戻してくれることを条件に、その頭を譲る。
鑑定には19人の専門家が参加。頭が死後切り離されたものであること、上唇の傷は
剣によるものであること、スキャナーでとられた画像が当時の肖像やデスマスクと一致すること、検出された鉛は棺に使われたものと同一の鉛であること、カー
ボン14による年代測定もアンリ4世の生涯をカバーしていること、などの鑑定結果が出る。唯一の疑問点は、当時はミイラ化するために頭蓋をノコギリで切っ
て脳を取り出し、そこへ香を詰めていたのだが、そのノコギリ跡がないことだった。それも、詩人ラマルティーヌが「アンリ4世はイタリア式でミイラにされ
た」と書いていることで解明。アンリ4世の妻マリー・ド・メディシスの出身地フィレンツェでは、頭を割らずに埋葬していたからだ。これで、この頭がアンリ
4世のものであることは99.9%確かになったと専門家たちは保証する。
2011年、アンリ4世の頭は長い放浪の末、サンドニの大聖堂に戻ることになっている。(真)