アルデンヌ県ショズ町のサッカークラブに13歳のときから属し、レギュラーのディフェンダーだったヨアン・ルメール選手(28)は、8月末にライセンスの更新を拒まれた。彼は「私がゲイだから」と抗議。同クラブのコケ会長は、「誤解です。彼とクラブの間はラブストーリーだったのに、別れ方が最悪になった」と嘆く。
パリ・フット・ゲイ(PFG)がイニシアチブをとって誕生した、サッカー界から反同性愛的発言や行為を排斥しようという協定がある。2006年、ショズのクラブは、フランス全クラブの中で最初にこの協定に署名。すでにカミングアウトしていたルメールさんには、大きな心の支えになった。「クラブに登録している60人の選手のうち二人だけが、ゲイというだけで私を毛嫌いしているけれど」。その後、PFG主催で、サッカー界のスターも加わった試合が、パリやアルデンヌ県で行われる。ショズの選手たちも、ユニホームに〈Carton rouge à l’homophobie 同性愛嫌いたちにレッドカード!〉というアピールを付けて参加。「大いなる誇りでした」とコケ会長は当時をしのぶ。
2009年に入ってルメール選手の試合回数が減ったこともあってか、状況が悪化する。ある試合前、ロッカールームで、選手の一人が〈Carton rouge à l’homophobie〉のロゴをユニホームから外し、「ゲイなんて大嫌い」と公言する。怒りがおさまらないルメール選手は、 テレビ局France 3が取材に来た時に、その選手から同様の差別発言を引き出すことに成功する。ルメールさんは、同選手の処罰を要求するが、クラブはこの要求を却下。「クラブ内で穏やかに解決したかった。けれどPFGが介入してきて、あれやこれや注文をつけられたことが、クラブの責任者の反感を買い、処罰処分はないことになってしまった」とコケ会長。
昨年、1次リーグ、モンペリエのニコラン会長が、オクセールのペドレッティ選手を「ちっぽけなおかま野郎」と名指しして処罰を受けたような反同性愛的なサッカー界にあって、勇気を出してカミングアウトしたルメール選手、それをサポートしようとしたショズのクラブ、それにもかかわらず最終的にはルメール選手のライセンス更新拒否という現実。サッカー界からhomophobieが姿を消すまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。(真)