言葉優先傾向がフランス映画を閉塞?
吉武美知子
映画はフランスでは文化省、日本では経済産業省の管轄。そしてフランスで映画は民間の投資の対象ではない。プロデューサーの仕事は、企画を育てる傍らでひたすら公的機関に助成金を申請する書類作り。製作予算とファイナンスプランの整合性に頭をひねる。こちらがハード面。ソフト面でいうと、一にも二にも脚本が問われる。良く書かれた脚本でないと助成金はこない。これって当然のようだが、ここに落とし穴がある。文学の国フランスでは言葉が最重要視される。しかし映画は映像で魅せるもので、映像は言葉を修飾するためにあるわけではない。饒舌(じょうぜつ)な脚本が良い映画を生むとは限らない。どうも言葉優先傾向がフランス映画を閉塞させているような気がする。
文化としての映画を守るための制度は完備している。お陰で採算性がなさそうでも上質な映画を作る機会に恵まれる。確かに採算性だけを基準にしてたら、ろくな映画は生まれず、新しい映画表現の追及なんてのも無理で、文化としての映画は萎縮の一途。一方で、完備された制度に足をすくわれることもある。自国の映画のアイデンティティをまもるためとはいえ、映画に国籍を課す。主要スタッフ・キャストの国籍を点数にして加算、一定の点数に満たないと仏国籍を取得できない。国籍がないと、様々な援助の対象から外されるどころかTV放映もままならず製作は破綻する。非EU圏や合作協定のない国、つまり日本人や米国人は零点。才能があるからといってうっかり外国人をよぶと痛い目にあう。だから質より国籍を選んで作品の質を落とすという本末転倒も起こる。フランスでの管理された映画製作は窮屈ではあるが、映画を文化として扱ってくれる心地よさもある。
吉武美知子
国際合作を志向するフランス拠点の日本人プロデューサー。写真は2008年に製作した日仏独合作『TOKYO!』の現場で、監督レオス・カラックスと撮影監督キャロリーヌ・シャンプティエ。