「映画は以前占めていた場所を失った」
Pascal Mérigeau
一般にフランス映画にダイナミズムが足りないように見えるのは、フランス人監督がたいてい家柄の良い人ばかりということも関係してると思います。またナルシスト的なタイプの作品は、監督はもちろんプロデューサーにとっても手がけるのに簡単で心地よいもの。この手の作品に対しては批評家もわりと大目に見てしまいがちです。フランス映画はもはや観客のために作られているわけではないのです。
また現在、映画は文化という重要な側面を失ってしまったように見えます。例えばカンヌ映画祭に関する普通のメディアの反応をご覧なさい。専門の映画雑誌などではなくて、すぐに目につくTVや売れている雑誌などですよ。やれ『カンフー・パンダ』が上映されただの、有名人のマラドーナやマイク・タイソンの映画があっただの、そういうことばかりを話題にしているでしょう? それらの作品がなかったら、カンヌ映画祭についてなど誰も話題にしません。
巨匠ルキノ・ヴィスコンティの偉大な作品に『山猫』がありますね。3時間半の長さですし、観客にとって決して簡単な作品とは言えません。フランスでは70年代の公開当時、どれくらいの観客が入ったかご存知ですか? 当時は600万人入ったんですよ。ベルイマンの作品だって当時は100万人も観客が入りました。当時ベルイマンを観ていたような観客は、今だったらもう映画館などには足を運ばずに、絵画の展覧会にでも行ってるのではないでしょうか。なぜなら映画はもう「イメージを作り出す巨大なマシーン」のようなものに成り下がっていて、もう芸術だなんて思われていないからです。つまり映画というものは、以前占めていた場所を失っているということ。もうほとんど成り行き任せになっています。残念ですが、これが現実です。(聞き手/瑞)
パスカル・メリジョー
敏腕映画ジャーナリストで小説家の顔も持つ。有力週刊誌『ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』で執筆。2007年にフランスの映画システムを大胆に批判した「Cinéma : Autopsie d’un meurtre」が話題に。