パリのカルナヴァレ博物館で、プルーストの世界を訪ねる。
16区で生まれ、16区で亡くなったプルースト。終生パリ右岸を離れることはなかった。『失われた時を求めて』が生まれたオスマン通りのアパルトマンは、現在では銀行が所有していて残念ながら見学はできない。幸いに、プルーストの遺品は、イリエ・コンブレーの記念館、そしてパリのカルナヴァレ博物館で目にすることができる。
マレ地区には16~18世紀の貴族が住んだ館の数々が現存している。歴史資料などを収め博物館として知られているカルナヴァレも、そんな由緒ある館のひとつ。セヴィニエ夫人が娘に手紙を書いた屋敷でもあるこの博物館、実は文学にもとてもゆかりがあり、ゾラやジョルジュ・サンドなど、フランスが誇る作家たちの資料が収められている。パリのプルースト巡礼は、そんな博物館の一角にある「マルセル・プルーストの部屋」から始めたい。
この部屋は、プルーストが暮らした複数のアパルトマンから集まった遺品と、プルースト自身による描写を元に再現されたインテリアから成り立っている。
アール・ヌーヴォー調の美しい壁紙を期待してここを訪れる人はがっかりするかもしれないが、壁はコルク張り。これは、『失われた時を求めて』を執筆していた当時、オスマン大通りの壁や天井をコルクで覆って防音したという逸話が元になっている。真鍮のベッドの枠にかけてあるのは、友人からプレゼントされたという豚の皮を使った杖。その杖の先にあるのは、梨の木があしらわれている第二帝政期スタイルの書き物机。そのすぐ上には、どっしりした存在感の、医学博士だったプルーストの父の肖像画がかかっている。
『失われた時を求めて』の原稿のほとんどはベッドの中で書かれた。51歳の時、気管支炎をこじらせ肺炎になった時も、入院をこばみ、このベッドの中で亡くなった。
長椅子は、訪れた親しい友人が横たわったり、プルースト本人が読書したりする時に使われた。
ナイト・テーブルの上には、使いなれた万年筆、懐中時計、そして書きかけの原稿が常に置かれていた。
緑のランプシェードはすこし色あせてしまっているが、今でも枕元を照らしている。