真っ黒の布で頭から顔、眼も、つま先まで包み隠すアフガニスタンやサウジアラビアで見られるブルカをフランスでも最近目にする。狂信的イスラーム伝統主義を守る夫や兄の強制によるものか女性が自ら選んだ姿なのか明らかでない。
6月初めカイロでオバマ米大統領は「西欧の国がイスラーム教徒の衣服にまでなんくせをつけるのはよくない」と言ったが、6月22日ヴェルサイユでの両院合同議会でサルコジ大統領は「ブルカは宗教の問題ではなく、女性の自由と尊厳にかかわる問題だ。それは女性の隷属・忍従のしるしであり、フランス共和国は歓迎できない」と言明した。政府は与野党議員32人からなる説明委員会を開設し、6カ月の熟考期間を与えている。
ブルカ論争が加熱するなか、6月23日付ルモンド紙掲載の、人類学者・EUイスラーム原理主義対策専門家ドゥニア・ブザール女史の『ブルカは宗教的しるしではなく新興宗派のしるし』と題する文章を訳載したい。
「宗教 religionの語源はラテン語の relegere(迎える)とreligare(再び結ぶ)に由来し、信者は他者に向かっていき己の生の意味を見出すために神との関係に立ち帰る。一方、新興宗派secteの語源はsuivre(従う)とs姿arer(分離)。個人の自由を侵す絶対主義的グループを指し…外部に対して排他的で、信徒の人格を破壊していくのが現代の新興宗派の特徴といえる。
ブルカや、目だけを見せるニカブの目的は明らかで、〈内〉と〈外〉との間に越えられない境界を設け、信徒に〈自己の廃除〉と〈他者の廃除〉を強要する。…フランスでイスラームを話題にする時、一般的論理は通じず混乱をきたすものだ。世俗社会が侵されることへ恐れとイスラーム排斥主義に陥ることへの危惧、イスラームに対する警戒心と寛容主義との間で意見が揺れ動く。
注意すべき点は、女性にブルカを強要するサラフィストは旧来のイスラム史には存在せず前世紀に派生した狂信的伝統主義派であること。…絶対主義的言説を原理主義的戒律のごとく説くのが同導師らの戦術で、イスラームを尊重するなら社会がそれを受け入れるべきで、拒絶することは排斥的自民族中心主義だと主張する。
イスラームと狂信者の心理的弱みを識別することを西洋人がためらうのは、自分たちとは異なる慣習や伝統をもつムスリムを尊重すべきという良識がはたらくからだ。しかし、裏返せばそれはネガティブなとらえ方でしかない。イスラームゆえにすべてを受け入れることは逆に、(どうせ移民たちの)とるに足らない〈他宗教〉とみなすことになるからだ。
違いを重んじることは区別化することであり、奇異な服装も時代錯誤的狂信の産物として、一般とは異なる〈別の世界〉として認めることになる。しかしブルカを黙視することはイスラームを尊重することではなく、植民地時代からステレオタイプ化された男性への女性の隷属のイメージを存続させることにすぎないのだ」(君)