グランパレ、ルーヴル、オルセーの3カ所で開催されているピカソ展の中で、一番刺激的だったのが、この展覧会だ。ピカソは西洋絵画の巨匠たちの作品を自分流に壊し、再構築する試みを何度も行った。オルセーで展示されているのは、マネの「草の上の昼食」を下敷きにしてピカソが1954年から1962年まで制作した40点。 改めて、マネの『草の上の昼食』を観る。1863年に〈落選展〉で展示されたとき、着衣の男性にまっ裸の女性を配したのがスキャンダルを起こし、それによってマネの知名度が上がったという、いわく付きの作品だ。光の当たり具合が自然ではない、なぜ女性だけ裸なのかなど、謎は多い。 今回じっくり眺めたら、これまで見逃していたことに気づいた。それは、4人の人物がいる「時」がずれていることだ。一番古い過去にいるのは後ろで水浴をしている女で、風景の「時」と一致している。次が左側の女、その次が真ん中の男、一番新しい「時」にいるのは帽子を被った右の男だ。左の男と左の女は少しずれており、この二人と帽子の男の足が交差して、三つの異なる「時」が同じ場所で重なっている。だから、三人のあいだに会話はない。「時のズレ」が、この作品を奇妙なものにしている それを前提に、ピカソを見る。1960年2月27日、同年3月4日~7月30日、1961年7月27日の作品のいずれにも、人物間に時のズレはない。1961年6月17日の作品では、左の男だけが微妙に他の三人からズレている。これは、次室でも出てくる傍観者、立会人、あるいはノゾキの男だ。この種の人物は、晩年のピカソ作品によく登場する。 第2展示室に入る。ここで、男が一人消えて、向かい合った男女と、二人の中間地点の後ろでかがむ女という三角形の構図が出てくる。時のズレはない。向き合った男女間には濃密な空気が流れている。二人の間で行われているのは性の交渉だ。後ろの女が、交渉の果実を水の中から拾い上げている。ピカソはそんなことを考えずに描いたのだろうが、三人はヴェーダ哲学の「リシ(見るもの)」、「デヴァダ(見る過程)」、「チャンダス(見られるもの)」の体現で、三位一体。それ故、モネにはないエロチシズムが発散されている。(羽) オルセー美術館:2009年2月1日迄(月休)。 |
Edouard Manet “Le d史euner sur l’herbe” 1863 Paris, musée d’Orsay © Patrice Schmidt, Paris, musée d’Orsay Picasso Pablo (dit), Ruiz Blasco Pablo |