ピエール神父が1954年に設立した、ホームレスたちに宿を与え、彼らが自立できるようにサポートしているエマウス協会。その会長として敏腕をふるってきたマルタン・イルシュ(45)は、サルコジ大統領に「就労のための連帯」委員会の高等弁務官を担当しないかと勧誘され、エマウス協会代表を辞任し入閣する。「貧困者を金銭的に援助するにとどまっている左派の考え方と、すべては個人の実力次第という右派の考え方の二極対立から抜け出したかったのだ。そういう意味でジャック・ドロール(1981-84年社会党内閣の経済・財務相)は私にとって指標を掲げてくれた人だ」とイルシュは語る。左派の連中からは「イルシュ、お前もか」と裏切りもの扱いもされたが、イルシュは彼のアイデアを実現しようと、保守のフィヨン内閣の中で格闘する。「どこまでも柔軟な態度で、最後まで議論の道を開いておこうとするイルシュには感心した」と内閣の同僚の中では評価が高い。
その彼のアイデアとはRSA(Revenu de solidarité active)。これまで失業中で他の収入源がない人は448eのRMI(社会復帰のための最低収入手当)を受給できたが、その人が例えばパートの仕事に就いて519e稼いだとすると、RMIが受給できなくなって、収入は519eどまりだった。それにに引き換え来年の7月から実施されることになったRSAでは、それに251€の手当が加算されて、合わせて770eの収入になる。こうして失業者に就労への意欲を持たせようというのがRSAのねらいだ。「大々的な改革とはいえないけれど、RSAはフランス社会を特徴づけるものになるだろう」とイルシュは語る。
マルタン・イルシュは1963年パリ郊外のシュレンヌで生まれる。父は国立土木大学の学長。祖父はドコール大統領の厚い信を得ていた政治家で、「くじけてはダメだ」と孫のマルタンを絶えず勇気づけたという。医学の勉強(神経生物学を専攻し、フロイドを熟読したという)を続けながら高等師範学校を卒業。25歳で国立行政学院に入学。卒業後国家評議会の事務局に勤めたりする。1997年から99年にかけて、社会党政権のクシュネール厚生相、オーブリ雇用相のもとで働く。1995年から前述のエマウス協会の事業に積極的に参加し、2002年に同協会の会長に就任する。サルコジ大統領から与えられた高等弁務官は閣外相に匹敵する地位で、これでイルシュも政界入りかと騒がれたが、本人は、今のところ国民議会選挙に立候補するつもりも、この高等弁務官の職に甘んじるつもりもないという。
18歳、17歳、12歳の3人の娘がいる。(真)