消費社会への警鐘的作品。”99F”

 その役者が画面に登場しただけで思わず笑ってしまい、「待ってました!」と声をかけたくなる、最近のフランス映画界でそんな存在となっている役者の一人がジャン・デュジャルダンだ。ヤン・クーネン監督『99F』でも長髪90年代ルックの彼が登場するだけで客席がざわめく。彼の名はオクターヴ、広告業界で幅をきかせている鼻持ちならないやつ。金に糸目を付けないこの業界に溺れている。世界を掌握しているという錯覚、オンナをはべらし、クスリ漬け、典型的な業界人ってやつだ。その脱線振り、格好つけ振りを監督がまた誇張の限りを尽くして演出する。その監督の足跡にも注目したい。
 ヤン・クーネンは、1997年の超バイオレンス映画『ドーベルマン』で一躍注目を集めた後、BD(マンガ)のカルト的作品『ブルーベリー』を映画化中にスピリチュアルな世界に目覚め、その後は自分の精神世界を追求するようなドキュメンタリーを撮っている(下記ポートレート参照)。『99F』の主人公も変化する。欺瞞と虚飾の上に成り立つ広告業界に辟易(へきえき)し、歯車の狂った消費社会に一矢を報いる大仕掛けを用意する。しかし時すでに遅し? 私生活で彼は、唯一本気で愛した女性をいつもの軽薄さで不幸に突き落とし取り返しのつかない罪を犯していたのだ。辛辣なラストだ。スーパーの値札が99F(日本なら1980円?)というユーロ前のフランの時代、人類の未来に対する危機感がまだ希薄だったころが舞台。オクターヴはそういった意味では時代の先駆けだったのかも知れない。このフィクション映画は、最近とみに目立つ消費社会への警鐘的ドキュメンタリー『We feed the world』、『不都合な真実』などとリンクする。内容的には○だが不必要にうるさく感じられるヤン・クーネンの映画表現は(吉)の趣味ではない。(吉)


Jan Kounen (1964~)

 時代の寵児となった監督が、急に莫大な資金と自由を与えられ超大作に挑戦すると失敗する。 映画史の法則のひとつだ。思えば、長編第一作『ドーベルマン』(1997年)で、愛と暴力の現代版パンク・ウェスタンを勢いよく放ったヤン・クーネンもそんな法則に足をつかまれた一人。人気BDを大胆に翻案した『ブルーベリー』(2004年)の大失敗による痛手。ノックダウンをまともに食らった彼は、しばらく表舞台から姿を消す。そして雑音から逃れるように、すでに見られたスピリチュアル・ワールドへの傾倒をより深め、インドに渡り低予算ドキュメンタリーを2作続けて撮り上げる。特に『Darshan』(2005)において、何万人もの民とハグをし続けるインドのゴッドマザー、アンマに注ぐシンプルな視線には、監督の自我を無理に押し込めたような『ブルーベリー』への反省もあったようにみえた。
 そしてこの度、無事精神世界から帰還し、クーネンが発表したのが、ベストセラーの原作とシナリオにほぼ忠実だという『99F』。「シネアストの僕にとっては、注文品の中に新しい自由を発見するのが興味深いんだ」。これが成功作になるのなら、職業作家として生きることに心地よさを見いだした彼の、長い悟りの旅の賜物かもしれない。(瑞)


CR: Pathé Distribution

●L’Âge des ténébres
 渋滞を我慢し職場に着いても、行動は監視され、無意味な労働があるばかり。家に帰ったところで愛も会話もないお寒い空間。現代社会の犠牲者、中年男ジャン=マルクの逃げ道はただひとつ、もっぱらリアルな幻想に耽ること。幻想の中では有名作家となり尊敬され、美女が話を聞いてくれるのだから。
 等身大の社会風刺は凡庸にみえるが、棺桶に入ったのに悪妻の携帯で起こされたり、中世にタイムトリップし闘いに巻き込まれるなど、ブラックユーモアと創造性に弾みがついた時こそ、カナダのケベック組ドゥニ・アルカン監督の才能が一層輝いて見える。『アメリカ帝国の滅亡』、『みなさん、さようなら』に続く三部作最終章。(瑞)