フランスで5月10日は、1848年に奴隷制が廃止されたことを記念する祝日になっている。この奴隷制廃止運動のイニシアチブをとった政治家が、ヴィクトル・シュルシェール。 シュルシェールは、1804年12月パリで生まれる。家はアルザス出身の裕福な家庭で、父親は磁器製造業者として名をはせていた。1830年、何もせずにぶらぶらしている息子を見るに見かねた父親の命で、メキシコに送り込まれる。その時にキューバを訪れ、シュルシェールは、過酷で非人間的な奴隷制度を目の当たりにし、激しい怒りを感じる。フランスに戻ってからは、奴隷制廃止協会に加盟し、各地に移動して演説したり、さまざまな記事を書いたりしながら、積極的に活動するようになる。1848年の二月革命で共和政の臨時政府が誕生した際に、シュルシェールは海軍および植民地担当の政務次官、奴隷制度廃止委員会の委員長に就任し、4月27日の政令で、フランス本土および植民地での奴隷制度を廃止する。1848年から50年にかけてはグアドループおよびマルチニーク選出の左派系議員として論陣を張るが、1851年のルイ・ナポレオンのクーデダー、翌年の帝政復活と共に、パリから追放されイギリスに亡命する。亡命先では彼同様に熱心な死刑廃止論者のヴィクトル・ユゴーと親しく付き合う。1870年普仏戦争の敗北で帝政が崩壊し、フランスに帰国。1875年には終身上院議員の資格を与えられる。1893年、89歳で死亡、ペールラシェーズ墓地に埋葬される。 「私たちに、そして私たちの子孫に言い続けよう。この地球上に一人でも奴隷がいる限り、それは人類全体に対する絶えることのない侮辱である」というシュルシェールの言葉は、相変わらず人身売買が行われていたり、某国の在仏大使館で奴隷のようにこき使われていた女性が救出されたりしている現在、リアルな意味を持ち続けている。(真) |