recevoir / jeter des tomates
もちろんトマトより花を投げてもらった方が理想的だ。”Jeter des fleurs(花を投げる)”は「ほめちぎる」の意味だから。ところが、不幸にも、ののしり、やじられる羽目になると、投げつけられるのはトマト。百年くらい前は、観客は卵やフライドポテトを投げるのが習慣だったが、投げつけられた方は “rouge comme une tomate(トマトのように真っ赤に)”なるくらいに恥をかいたものだった。
俗語で “chou(キャベツ)” は “tete(頭)” のこと。それが時には「お尻 cul」の意味にもなるが、”Rentrer dans le chou(キャベツの中に帰る)は、単に「突然襲いかかったり、殴るために相手に向かっていくこと」だ。 “chou”を「お尻」ととって、エッチなことを想像したりしないでね。
presser quelqu’un comme un citron
「レモンのように誰かを搾る」は、「誰かを徹底的に利用する」こと。”presser le citron(レモンを搾る)”ともいう。オレンジと同じくレモンも果汁が何よりで、それを搾り出すイメージは、臆面もなく誰かを利用しつくすことを思い起こさせる。”presser l’orange et jeter l’écorce(オレンジを搾って皮を捨てる)”ともいうが、使い捨て社会、そしてその中で無神経になった私たちを、みごとに表している言い回しだ。その一方で、環境を救うために “se presser le citron(自分のレモンを搾る→知恵をしぼる)” 人たちもいるのだが。
バレーボールで “carotte(ニンジン)”は、アタックするような振りをしてジャンプすること。相手は当然スパイクに備えて動くことになるという、フェイントの一つ。口悪くいえばごまかし、意地悪でずるいテクニックのことだ。「ニンジン」は、ニンジンが大好きな “coup du lapin(ウサギのプレー=>ずるがしこい人のプレー)” といってもいいだろう。
sucrer des fraises
不安、病気、老齢などで手足が震えること。イチゴに砂糖を振りかける時の手の動きからきている。
ケンカをしたり、肉体的ダメージを受けてゆがんでしまった耳が “oreilles en chou-fleur(カリフラワーの耳)”。一部のラグビーマンやボクサーのように血腫で変形してしまった耳にも使える言い回しだ。もちろんカリフラワーの形に似通っていることからきている。