「れ・き・し」の中には「死」がある。

●Auschwitz, 60 ans apres
 アウシュビッツ。
 21世紀まで生き残っている我々はこの言葉から何を思うのだろうか? あるいはShoahやholocauste、さらには反ユダヤ主義、人種差別という言葉がいかなる現実と関連づけられるのか? 我々各自が生活している社会において、そして各個人の世界観・人間観において。
 かえって一月のアウシュビッツ解放60周年の記念式典。なぜ60年目なのか?なぜあそこまでテレビ中継されたり、各国の元首が集まったのか? なぜアウシュビッツ? この一月のメディアの多大な取り上げ方、少なくともその規模には何か異常なものがあった。まさに「スペクタクルの社会」。そして、こうした情報(?)の過剰・飽和がありながらも、アウシュビッツについて、人種差別主義を基盤としたナチスの大量虐殺について、明確な歴史的事実を知らない者が多いという妙な状況がある。しかし、こんな状況であるからこそ、歴史研究家もその役割が問われ、発言の場を持つことができる。
本書はそうしたものの一つだ。歴史家的そしてドキュメンタリスト的なアプローチをもって、公文書をもとにした数字と証言が交わり、アウシュビッツの様々な側面が語られる。そしてアウシュビッツの過去だけでなく、現在、21世紀へと至るその場所の「歴史」も語られる。つまり「それ」が引き起こす様々な問いについて。そして本書は、単にアウシュビッツで起こったことやその歴史について知識を深めて(あるいは与えて)くれるだけではない。様々な問題(過去のではなく、現在の、すわなち現代的に変容した過去の)について考えさせる。
 我々の今の生は歴史の中にあり、死なくしては、生は定義されることはないのだ。(樫)

Annette Wieviorka,
Robert Laffont, 2005,
306p., 20€。

L’histoire, celle d’Auschwitz comme celle d’autres événements, n’est jamais définitive.
Elle s’inscrit au présent, qui change sans cesse l’approche du passé.