copains comme cochons
“cochon(ブタ)” を使った表現は、ふつう軽蔑的なものが多いです。たとえば、”tete de cochon (ブタの頭→性格がとても悪い)”、”manger comme un cochon(ブタのように食べる→食べ方がきたない)”、”le cochon qui sommeille(眠っているブタ→人間一人一人が隠し持っている悪い本能)”、あるいは “tour de cochon(ブタの策略→意地の悪いまね)” …。それなのに、”copains comme cochons(ブタのような友だち→仲のいい友だち)” 。この表現には意表をつかれるかもしれませんが、同僚とか協力者を意味するコトバ”so腔n(chochonともいう)” がなまったものです。この言い回しでは、最初は “copains” のかわりに “camarades”、ついで “amis”。”copains”が使われるようになったのは、19世紀になってからです。
傑作喜劇映画『Les bronzes font du ski』(1979)のある印象的なシーンを思い出しつつ、かなりのフランス人がこの表現を使っているようです。この表現とこの映画の間にどんな関係があ
るのかわからない人は、周りのフランス人に聞いてみてください。きっとそのシーンを再現してくれて、「ブタのごとき友人同士」になれるよい機会になるでしょう。
フランス人に好まれる動物ほど、言い回しに登場する回数も増えるというのなら、ロベールのDictionnaire des expressions et locutionsポケット版で10数回も登場するカモは、好位置につけているといえるでしょう。カモの特徴といえば、まずくちばし。もちろん、くちばしが出てくる表現は数多いけれど、くちばしはカモ専用ではありません。次は、あの歩き方。水かきを持っている鳥ならではのひょこひょこ歩きから”marcher/se dandiner comme un canard” という表現があります。それなら、なぜことさら “canard boiteux(びっこをひくカモ)”という必要があるのでしょうか。でも、フランス人にとっては「ウイ」。誰かがあなたをびっこをひくカモ扱いしたら、それは、「落伍者、役に立たない人」ということで、喜んではいけません。まあ、あなたの身体的な欠点を茶化しているのではない、という点は救いですが。
クジラは、地球でいちばん大きい動物。そこで、”etre gros comme une baleine(クジラのように太っている)”のごとく、太いこと、大きいことの代名詞になっています。開けた時の口の大きさも並大抵ではないので、”rire comme une baleine” が、「慎みを忘れて大笑いする」という意味であることは、すんなりわかります。この “rire” が、時として “se tordre(身をよじる)”になります。でも、クジラの体からいって、文字通りに身をよじるのは無理でしょう。じつは、このクジラは動物ではなく、雨傘の骨も”baleines” というので、裏返しになった雨傘のねじ曲がった骨のことかもしれません。
話が本筋からはずれてしまうことを許してもらう時に、フランス人は、”je passe du coq à l’âne(オンドリからロバに乗りかえる→「話は変わりますが…」)”という面白い表現に救いを求めます。実際のところ、オンドリとロバの間にはなんの共通点もありません。でもなぜオンドリで、なぜロバ?クロード・デュヌトン氏の仮説は以下の通りです。”âne”は、雌ガモという意味の “âne”(以前は “asne”と書いていた)という語との混同の結果である。また “saillir” という動詞は、徐々に “sauter” という動詞にかわり、今は”passer”という動詞になってしまいましたが、動物の世界ではもともと、雄が雌と交配することを意味していました。というわけでデュヌトン氏同様に、オンドリと雌ガモが交配するという非論理性が、”passer du coq à l’âne”という表現のそもそもの始まりだ、と考えることができるでしょう。