フランスの田舎で母と二人きりで暮らすレオンス。すでに60歳を超え、網膜剥離のため車も運転できないレオンス。この小説は、そんな彼の現在の物語が、彼の幼少の頃の物語と彼の父の物語と交錯して、語られる。
第一次世界大戦で負傷し、リモージュに流れ着いたレオンスの父は、その地のとある工場主と出会い、彼の家で世話になることになる。怪我の回復期の間だけ厄介になるはずが、そこでレオンスの母と出会い、戦後、事業を拡張するその工場で働くことになる。それから10年あまり。時は1920年代、レオンスもすでに寄宿制の小学校に入って間もない頃、レオンスの父は突然、密かに夢見ていた異国への冒険を実行に移す。フランス領コンゴへと旅立ったレオンスの父、そして残されたレオンスとレオンスの母。20世紀のフランスの田舎のブルジョアの廃退の物語、といってしまえばそれまでだが…。
久々に文体のある小説に巡り会えた気がする。昨今のフランス小説には、切れの良い文章や俗語・造語を取り入れる文章がよく見られるが、本書の文体は、綿密ながらも淡々としており、一見、単調でありながらも、精緻に織り込められ、多用される自由間接話法によって幅のあるものになっている。美しい文体? 精錬された文体? 画期的な文体? なんとも妙な文体としかいえない。あえて分かりやすくいえば、モーパッサンとサロートをまぜたような感じだろうか。つまり、なんとも切なく、憂いのある文体、しっとりとした文体。この文体がその内容と見事に調和していることはいうまでもない。
本書はフレデリック・クレマンソンの第二作、今後をさらに期待したい女流作家だ。(樫)
Frederique Clemencon,
Minuit, 2003,
204p.,14€