おフランスの知られざるスポーツたち
試合前に魔術を使わないと誓ったり、プレーヤーが水の中に落とし合ったり、羊のフンが詰まったボールを使ったり…そんなフランスのスポーツをご存知だろうか?知らなくたって恥じることはない。実際フランス人だって、10人に1人位しかこれらのゲームについていくらか知っているくらいなもの。あまり知られていないのは、伝統が失われたからではない。
これらは単純に伝統的というよりは、祭的でローカル色の強いスポーツなのだ。それでもすべて現在でも、フランスのどこかでプレーされているものだ。 (alex/訳:瑞)
【LE GOUREN ル・グレン】 日はとっぷり暮れた。畑仕事を終えた一人の農民が疲れた体を引きずり家路を辿っている…と思いきや、泉で体を冷やした後、彼は新たに畑に足を向けるではないか。そこでは隣人がシャツの裾を結び、仁王立ちで彼の到着を待つ。そして取っ組み合いの戦い、ル・グレンが始まる。4世紀にイギリスから渡って来たル・グレンは、当時は貴族向けのもので、戦争に備え体を鍛え、美女の前で気取るための格好の場となった。その後ブルターニュの伝統的な競技となり、辛い畑仕事を終えた後までプレーする猛者たちの大衆的なゲームとなった。ルールはいたってシンプルで、二人のうち地面に両肩をついた方が負けとなる。タイムリミットがないため一晩中かかる試合もしばしば。迷信的な色合いが濃く、毎試合前に勝利のために魔術を使わないと宣誓があった。勝利者への賞品は、刺繍つきのハンカチ、羊皮の帽子、お金、雄牛など。戦士らはル・グレンの技法を秘密にし、彼らの息子だけに伝えていった。戦後ル・グレンは、サッカーやツール・ド・フランスなどの国民的人気の陰に隠れたが、ブルターニュではまだ人気を失わなかった。ル・グレンの選手は力強いと評判で、ド・ゴール将軍も、選手を彼のボディガードの一人に雇っていた。今日ル・グレンの協会では1200人の登録選手を数える。
【LES JOUTES NAUTIQUES レ・ジュット・ノティック】
1270年の南仏エーグ・モルトへトリップしよう。戦士や船乗りたちの一団はひどく退屈しながら、ルイ9世を乗せた聖なる土地へ向かう船の出航を待っている。女や気晴らしになるものはなく、たっぷりの水と時間、打ち捨てられた状態の小船、船が出航しないため、いわば失業状態の戦士たちだけがいる。そしてそこでは、いつしか槍と矛を携えた戦士を乗せた小船で、敵を振るい落としあうゲームが始まったのだ。この「レ・ジュット・ノティック」はフランス全土で知られているが、特にラングドック地方とリヨン地域でよく発達したという。(www.joutes.com には分布地図がある)このゲームの発生起源は実に古代まで遡るが、発達したのは特にフランスの中世だ。古い歴史を持つが、このゲームがスポーツとして再認知され始めたのは、ここ30年とつい最近のことである。
【LA SOULE ラ・スウル】 ブルターニュに端を発するこのゲームは、シンプルで肉体的なものだ。二つの村の住人グループは、ラ・スウルと呼ばれるボールを、それぞれ彼らの村まで運ぶ。敵のボールを奪うためなら、叩いたり蹴ったりとほぼ何でもありの豪快なものだ。ボールは豚や牛の膀胱で作られ、表面は革で覆われる。時に中身は羊の糞がいっぱい詰められることがあった。LA SOULE ラ・スウルという言葉は、LE SOLEIL(太陽)に由来し、ゲームは土地の肥沃さという考えに関わっている。つまりボールをキャッチし村まで運ぶという行動は、穀物を成長させるために太陽を村に運ぶということを意味するのだ。またラ・スウルは暴力的なスポーツとしても名高い。“どんな一撃でも、敵を尊重する限りは認められる”のだが、この言葉の解釈は人によって様々なので、時に憎い人を、ゲームを言い訳に打ちのめせる絶好の機会となったのだ。その暴力性が問題となり、15世紀に教会ではラ・スウルに参加した者を破門、もしくは重い罰金を科したほどだ。今日でも、敵を怪我させる恐れがある一撃は、はっきり禁止する方がいいと考える人が多い。