「検閲」という言葉は、全体主義国家につながるものと私は思っていました。しかし隔月間の雑誌 “Chronic’Art” の最新号を買ってみて、「検閲」はフランスでも使われていることを発見しました。この雑誌の18、19ページには、でかでかとした赤文字で「検閲CENSURE」と書かれています。どうしてでしょう? 時々、裁判所が記事やルポの一部あるいは全体の発行を禁止するという検閲はあります。ただ、今回は別の理由なのです。”Chronic’Art” の社長は、ピエール・ボッツラの記事を削除するように命令しました。印刷前で編集部には時間がありませんでした。その記事のかわりに大きな赤文字で「検閲」と書きました。なぜレオ・シェール社長はこの記事を発行したくなかったのでしょう。 彼は出版社の社長として、記事の内容を評価しなかったのです。”Chronic’Art” 誌文芸批評家のピエール・ボッツラは、エリック・ノローとピエール・ジュールデが書いた『Petit d史euner chez tyrannie』という本を長々とほめました。両著作者がル・モンド紙の文芸担当者を激しく批判しているというところに、問題がありました。ル・モンド紙は同出版社発展にとって主なるパートナーになっていますから、社長は、その新聞を批判する本を推薦したくなかったのでしょう。 同雑誌のサイトで検閲事件についての社長と編集長の意見を読むことができます。しかし、ボッツラは、雑誌から身を引いてしまったので、もう彼のテキストは読めません。残念ですね。(クロード) *http://www.chronicart.com/censure/home.htm |