どこの国にも5年か10年ごとに国民の記憶に極悪非道のイメージを刻む伝説的犯罪者がいるものだ。パトリック・アンリ(49)もその一人だろう。77年に幼児誘拐・殺人犯として死刑になる可能性が高かったのが無期懲役となり、服役25年後の2001年5月に仮釈放された元服役者だ。 76年2月、当時21歳のアンリが7歳の顔見知りの少年フィリップ君を学校の帰り道で誘拐し、さほど裕福とはいえない家族に100万フランの身代金を要求し、それと前後して少年をスカーフで絞め殺した事件だ。ニュースキャスターが叫んだ警句「フランスを襲った恐怖」は永い間、国民の耳にこびりついたものだ。 ミッテラン大統領は81年に死刑を廃止した。その4年前の77年に開かれたアンリの裁判でバダンテール弁護士は、重罪犯アンリに対する国民の憎しみの矢が降るなか、彼の更生にかけて死刑を免れさせたのである。バダンテール現上院議員はミッテラン大統領の公約、死刑廃止法の草案者でもあった。 無期懲役の判決が下る朝まで、ギロチンに向かう覚悟をしていたアンリは「みなさんはこの判決を下したことに後悔しないでしょう」と模範的な服役者になることを誓ったのだった。服役中、通信教育でバカロレアも取得し、テクノロジー大学のコンピューターと数学一般課程の免状も取得したアンリは、模範的服役者の代名詞にもなったほどだ。 フランスでは1885年以来、法務相が10年以上の懲役服役者に対して仮釈放を認可してきたのだが、2000年6月に成立した刑法改革法により、この権限が法務相から控訴院司法官の合議に移譲された。以来、2001年だけで5847人(33人は終身刑)が仮釈放された。アンリはその一人だったのである。 出獄後の8カ月間、夜間は拘置所にもどる保護観察期間があり、アンリは印刷会社に就職した後も拘置所から通勤していた。その後の7年間は行刑裁判官の監督下におかれる。 アンリが25年間の拘置所生活をつづった自叙伝『後悔しないでしょう』は10月23日にCalman-Levy社から発行される予定だった。版権は10万€にのぼる。ところが、6月26日、アンリは80€相当のボルト類などをスーパーで盗んでしまったのである。彼はこの盗みで2000€の罰金刑を受けている。そして10月5日の深夜、アンリはモロッコで手に入れた10キロの大麻を車で持ち帰ったところをスペインの警察に取り調べられ、現地で勾留された。仏法相は身柄引渡しを要求したが司法手続き上、時間がかかりそう。 懲役を完全に服役し終えて出獄した者の40%は再犯し、仮釈放者の再犯率は23%といわれている。アンリの社会復帰は1年半足らずで崩れ去ったわけだ。 死刑を免れ25年間暮らした拘置所への帰還は、アンリにとって “寝床” にもどることなのか、罰せられることへの無意識的マゾヒズムか。「出獄者に住居と職業を保証するだけでは不十分、心情的つながりがないかぎり社会復帰は不可能」とは、仮釈放者復帰センターのストリクレーさんの意見だ。(君) |
懲役10年以上の服役者仮釈放数 101人 1999年 5492人 2000年 5847人 2001年 *今まで仮釈放された死刑・終身刑服役者477人のうち再犯は、殺害未遂1件、殺人1件。 (La Libération : 02/10/9) |